元JKT48・仲川遥香インタビュー 『ガパパ!』がくれた強さと勇気

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2017/2/24

 昨年末に48グループを卒業した、仲川遥香が初の自著『ガパパ!AKB48でパッとしなかった私が海を渡りインドネシアでもっとも有名な日本人になるまで』(仲川遥香/ミライカナイ)を出版した。彼女はアイドルとして、そして、一人の日本人として稀有な経歴を持つ。

 2006年12月にAKB48の3期生として、現在も選抜メンバーである渡辺麻友や柏木由紀らと共に加入。その後、2012年11月に元メンバー・高城亜樹と共に日本人として、AKB48の海外姉妹グループであるインドネシアの“JKT48”へと移籍した。

 現地ではグループの活動を続けるかたわら、テレビのレギュラー番組や大企業のCMへ次々と出演するなど躍進。「インドネシアでもっとも有名な日本人」として、街中でも声をかけられるほどの人気者となった。

 そんな彼女の自著では、JKT48への加入から卒業直前までの悲喜こもごもが綴られている。そして、2017年からはソロとしての活動が始まったが、気になる近況や自著に込めた思いをインタビューにより伺った。

◎AKB48加入から10年、JKT48加入から5年という節目の“卒業”

――年末の48グループ卒業から約1ヶ月半が経過しました。2017年を迎えてからの活動はいかがですか?

仲川:年明けからお休みをいただき、1月の終わり頃からお仕事を再開しました。今はインドネシアでトーク番組やゲームショーへ出演しています。

――グループから離れ、ソロとしての活動がようやく始まった感じですね。時間の使い方も変わりましたか?

仲川:これまでは10年間、まわりに誰かがいる環境だったので、卒業してから急にいなくなるというのは寂しかったですね。自分だけの時間が増えたので最近は料理をしたり、英語の勉強をしてみたり。でも、時間が「もったいないなぁ」と思いつつ、何をしようかと模索中です。

――ようやく卒業の実感も芽生えてきた感じかもしれませんね。そもそも日本には戻らず、なぜ「インドネシアに留まる」という決断をされたんでしょうか?

仲川:JKT48の活動でたくさんの人に応援してもらえるようになったし、やっぱり「活動できる場所を与えてもらった」というチャンスを大切にしたかったからですね。現地の空気も何となく「自分に合っているのかな」と思っています。

――実際に48グループからの卒業を決断されたのは、いつ頃だったのでしょうか?

仲川:自分なりに考え始めたのは2年ほど前でした。その間にスタッフさんと相談する中で「タイミングが大切だよ」と言われていて、だから、AKB48への加入から10年、JKT48への加入から5年という節目を選びました。

――改めて、48グループの一員としての10年はいかがでしたか?

仲川:卒業してから気が付いたのは「すごく恵まれた環境にいた」ということですね。歌やダンスへ真剣に取り組めたし、メンバーと家族よりも長く過ごしてきて自分をどううまく主張するかを学べた気がします。ケンカしてぶつかり合うこともあったけど、グループの“輪”の中でやってこられたのは貴重な経験でした。

――AKB48への加入から5年後、JKT48への移籍も大きな節目だったと思いますが、卒業までを振り返って自分なりの変化はありましたか?

仲川:日本との環境の違いはやっぱり大きかったですね。生活も違えば、初めのうちは友だちもいなかったし、改めて「人に頼ること」の大切さを学びました。また、海外へ渡ると自分にとっての「ホーム」も変わるし、家族がまわりにいない寂しさであったり、たくさんの感情を味わえた気もします。

◎“はるごん”から“ハルカ”へ。JKT48で学んだ挑戦する強さ

――書籍では日本にいた当時の葛藤、ジャカルタへ旅立ってからの記憶を振り返っていますが、48グループの一員としての10年で正直「あきらめよう」と思った瞬間はありましたか?

仲川:何度か「他に活躍できる場所を探そうかな」と思い悩んだときもありました。AKB48の総選挙では満足な成績を残せず、やっぱり若かったからこその葛藤もあったかな。その当時を振り返ると「渡り廊下走り隊」(グループ内ユニットとして2009年1月にメジャーデビュー)に入れたのは、自信につながっていました。

――同期メンバーの渡辺麻友さん、多田愛佳さんたちとのユニットですね。その後のJKT48への加入で、何か特別に「強くなった」と思えた部分はありましたか?

仲川:自分で考えるべきことが増えて、1人で色々とこなせるようになったなって実感しています。JKT48へ加入してからしばらくは、言葉の違いからの苦労もありました。でも、今ではテレビにもたくさん出演させていただけるようになり、海外へ渡るという経験があったからこそ自分自身の強みや自信にもなっています。

――日本では「天然系妹キャラ」の“はるごん”として、しかし、インドネシアでは“ハルカ”としてチームTのキャプテンも任されるようになった経緯が書籍では語られています。そうした役割の変化も自分にとっては印象的でしたか?

仲川:AKB48では自分がキャプテンを任されることはなかっただろうし、やっぱり「チャンスをもらえた」っていうのが大きかったです。みんなをまとめるのって初めは本当、できないと思いこんでいたんです。でも、実際にやってみるとできることもたくさんあるし、JKT48に加入したからこそ何かに挑戦してみる強さや勇気を持つことができた気もします。

――JKT48へ加入してから、AKB48のメンバーから実際に「変わったね」と言われたときはありましたか?

仲川:日本へ戻ってきたときはたくさんのメンバーから「大人になったね」と言われたり、海外で舞台へ立つというのも「簡単なことじゃないのに、遥香がやっちゃうのはすごいね」と声をかけたりしてくれました。同期のまゆゆ(渡辺麻友)や(多田)愛佳、ゆきりん(柏木由紀)からは「昔の遥香からは想像できないくらい変わったよね」と言われて、うれしかったですね。

◎「大丈夫」の持つ力を読者へのメッセージに

――自著のタイトルをインドネシア語の「ガパパ!」に決めた理由をお聞かせ願えますか?

仲川:JKT48へ加入してから、初めて覚えた言葉だったんです。「大丈夫」という意味の言葉で使う機会も多かったんです。自分が辛いときに言われたときもあったし、メンバーを励ますときに使う言葉でもあったし、自分にとっていちばん大切な言葉だったから選びました。

――実際、出版されてからの周囲の反響はいかがですか?

仲川:「渡り廊下走り隊」のメンバーから「本読んだよ、すごいね!」と感想をもらいました。たかみな(元AKB48メンバー・高橋みなみ)もメッセージをくれたり、みんなには見せることができなかった自分の成長も感じてもらえたのがうれしかったです。

――2月10日には25歳という節目も迎えて、その直前に「人生を一冊の本として記録できた」というのはいかがでしたか?

仲川:こんな機会は生きているうちにめったにないことだと思うので、一冊の本になったというのも本当にうれしかったです。完成したものを手に取ったときは「自分の名前が入っている」というのも不思議で、もっともっと色んな人に知ってもらうために努力しないといけないと思えるようにもなりました。

――2017年からはいよいよ“独り立ち”することになりましたが、今後描いている方向性はありますか?

仲川:やりたいことをとにかくやってみたいですね。2018年には日本とインドネシアが国交樹立から60周年を迎えるので、その架け橋になる日本人として名前を残せたらと今は思っています。

――仲川さんだからこそ成し遂げられる夢だと思います。では最後に、自著における読者へのメッセージをお願いします。

仲川:本を手に取ってくださった方には、難しく考えずにやりたいことをやってほしいですね。インドネシアへ渡ってからは失敗もたくさんあったけど、それもまた、やってみた結果ならば後悔しないんだって学びました。だから、あきらめず何にでも挑戦する勇気を感じてもらえればと思います。

 彼女にとって、チャンスは偶然だったのかもしれない。ただ、言葉の通じない場所へ旅立ち、人生の転機をつかみ取ったからこその一言一句は強い説得力を持つ。彼女の自著は、一人の少女の成長を描いただけではない。新しい一歩に躊躇する人たちの背中を、きっと押してくれる一冊である。

取材・文=カネコシュウヘイ