温泉はなぜ体にいいのか? 温泉教授が教える、温泉の歴史、効用

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更新日:2017/3/9

    『温泉はなぜ体にいいのか』(松田忠徳/平凡社)

「温泉マーク」と聞いて、どんなものを思い浮かべますか? 来る2020年に向けて、公共施設の看板などに掲出される案内用の記号のうち、「温泉マーク」を含んだ幾つかを刷新する動きが、少し前に報道されましたね。結局この「温泉マーク」については、旧来のJIS記号も継続して使用することになったようですが、この騒動は温泉地や観光業界、そして温泉ファンを大いに沸かすこととなり、現代日本における温泉の存在感を、広く社会に印象づけるできごととなりました。

『温泉はなぜ体にいいのか』(松田忠徳/平凡社)は、そんな温泉の医学的効用や、日本における温泉利用の歴史、そして温泉にまつわる文化についての研究成果などをまとめた書籍です。著者である松田忠徳氏は、これまでにも温泉に関する本を多数上梓しており、「温泉教授」の呼び名も付いているほどの人物です。

 温泉へ行く目的として多くの方が思い浮かべるのは、レジャー、つまり余暇活動の一環として、というものではないでしょうか。旅行代理店の店頭などでも、温泉をメインとしたツアーのパンフレットが多数置かれていますよね。ところが松田氏によれば、現在の私たちが楽しんでいるようなレジャーとしての温泉が普及したのは、あくまで戦後の話だというのです。

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 日本人と温泉の関わりは、記録の上では奈良時代にまで遡ることができると、松田氏は述べています。一部の特権階級の楽しみだったり、宗教的な意味づけがなされたりした時代を経て、その存在が庶民にまで広まったのは江戸時代。そして当時は、温泉は余暇活動として訪れる場所ではなく、病気の治癒を目的として行く場所だったというのです。

 松田氏によりますと、温泉を病気療養の手段として本格的に用いたのは、江戸時代の医師である後藤艮山(ごとうこんざん。1659-1733)という人物なのだとか。庶民派の名医として親しまれた艮山は、人が病気になるのは、人体における“気の鬱滞”が原因であるという「一気留滞論」を掲げた医学者でもありました。こうした考え方は、当時主流であった中国医学とは異にするものでしたが、松田氏はこの“気の鬱滞”こそが、現代医学でいうところの自律神経を指すのではないかと指摘しています。そしてこの自律神経の調整のために、庶民には手の届かなかった高価な漢方薬に代わって、灸による治療や温泉浴を勧めた艮山の功績を、高く評価しているのです。

 ちなみに、湯治という文化そのものは、艮山以前から存在していたとのこと。例えば豊臣秀吉は1594年、眼病の治療のため湯治へ赴く側室へ宛てた書状の中で、温泉で血行をよくした後に灸を据えるよう勧めていたといいます。また徳川幕府の時代には、天下を取って間もない徳川家康が、お忍びで熱海へ出掛け、1週間もの湯治をおこなったり、3代将軍・家光が湯元から温泉水を運ばせ、江戸城に居ながら湯治を試みたり…といった記録も残っているようです。そして、そんな温泉好きの将軍に仕える大名たちまでも、参勤交代の道中に温泉をはしごした形跡が残っているというのですから、その頃の湯治ブームはさぞかし大変なものだったのでしょう。

 歴史上の偉人たちも愛した、湯治と温泉。しかし本書のタイトルにもありますが、そもそも温泉はなぜ体にいいのでしょうか。松田氏は、温泉に含まれる成分がさまざまな症状に効くのは大前提としつつも、それだけではなく、溶媒である温泉水そのものの活性が、酸化した身体細胞の還元を促しているのではないかという仮説を立てています。また入浴そのものだけではなく、転地による効果や、ゆとりをもった生活サイクルの実践による精神的充足といった点についても、自身の湯治体験を交えながら語っています。そして、予防医学としての温泉浴の価値を強調しながら、次のように述べています。

「西洋医学は病気を治す。温泉は心と体を正す」――。私のかねてからの持論でもあるこの言葉の意味が今日、もっと広く理解されることを願いたい。年間の医療費がすでに40兆円を突破している現在、温泉の役割は決して小さくない。

 働きすぎの日本人には、今こそ湯治が必要なのかもしれません。次のお休みの日には少し足をのばして、近くの温泉地へ出かけてみませんか?

文=神田はるよ