ドラえもんのひみつ道具「通りぬけフープ」の仕組みから考える、文系でもわかる世界一やさしい「量子力学」の本

スポーツ・科学

公開日:2017/3/8

『先生、それって「量子」の仕業ですか?』(大関真之/小学館)

 科学の基礎知識を『ドラえもん』で学んだという人は、少なくないだろう。『先生、それって「量子」の仕業ですか?』(大関真之/小学館)の著者のように専門家になる人もいるらしい。

 本書では「量子」という、あまり聞き慣れない用語の解説をしているのだけれど、どこかとぼけた文体と『ドラえもん』のひみつ道具を例に挙げていたりするため、私の脳内には藤子・F・不二雄先生の絵柄で量子(りょうこ)さんという架空のキャラクターが浮かんでしまった。本当の読み方は量子(りょうし)で、たびたび著者は「忍者」にたとえており、忍者の量子さんが頭の中を駆け巡って、難しいはずの話がスルリスルリと入ってきた気がする。

 本書によれば、そもそも量子さんは目に見えているのに目に見えない存在だ。木片でもコンクリートでも細かく砕いていくと破片になり、さらに小さい単位だと「分子」になって、より小さい「原子」からもっと小さい「素粒子」という単位になる。この、分子から素粒子の状態を「量子」と呼び、顕微鏡でもわからない小さな世界だ。この小さな粒の集合体が、私たちが生きる世界を形作っているのだけれど、量子サイズの世界ではいろいろと不思議な現象が起こっている。

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 特徴的な振る舞いをするのは光で、「二重スリット実験」を著者は「20世紀で最も美しい実験」と呼んでいる。この実験は、光を壁に向けて照射するさいに、間に「たて長の細い穴が二つならんだスリット」を置くと、壁にはどんな模様が現れるかというもの。二本の細い光が壁に映ると思いきや、壁には「縞模様」が現れるというから不思議だ。しかも、片方のスリットを塞ぐと壁には一本の線が現れ、もう片方を塞いでみても同じように一本の線が現れるのに、二つのスリットを同時に開けておくと、やはり縞模様になってしまう。実は光には粒という“実体”とは別に波の性質があり、二つのスリットを分身の術で通って再び合流するさいに、水面の波が干渉しあって高い波になったり反対に打ち消し合ったりするように、タイミングよく重なった光の粒は壁に姿を現し、打ち消し合うと姿をくらましてしまうのだ。これが「縞模様の正体」であり、その振る舞いは「波動関数」というもので表されるのだけれど、実際に光の粒の動きを監視してみると、縞模様は消えてしまい壁には二つの明るい場所ができあがる。さすがの忍者も、監視されていては分身の術が使えないとみえ、この実験からわかることは「監視の目がない状態」において「小さな粒は、複数の場所に同時に存在する」ということで、量子さんがいる場所は「確率」でしか予測できないんだそう。

 何やらわかりにくい現象をドラえもんのひみつ道具を例にしてみると、「通り抜けフープ」は実現できる可能性があるらしい。私たちの体もコンクリートなども、物と物が通り抜けられないのは原子や分子などが強固に結びついているからだけれど、同時に小さな粒の世界には隙間があり、ガラスを光が透過するのはその隙間を通り抜けることができるからで、避難訓練において「慌てないで落ち着いて行動をしてください」というように、量子さんを統率することができれば他の物質でも透過する通り抜けフープを実現できるそうだ。

 面白いのはタイムマシンで、過去に移動するのではなく、自分の周囲に過去の時間帯の記録から人や物を再現してしまうという方法。タイムマシンが存在しえない根拠の一つに「未だかつてタイムマシンが現れたという記録もないし、うわさもない」というのがあるのだけれど、「もしもボックス」がそうであるように、現在の世界と少しずつ違う並行世界(パラレルワールド)は、先の「小さな粒は、複数の場所に同時に存在する」の応用で行き来できる可能性があり、未来はともかく過去については宇宙に「生まれてから散らばっているたくさんの小さな粒」である量子さんがいるから、それを捕まえて話を聞くことができれば過去への旅行はできるかもというのだ。

 過去の楽しかった想い出だけを再体験できたら、いやそれだけでなく嫌な想い出を書き換えて本当の記憶を消すことができたら、世界や歴史は変わらなくても幸せな記憶にひたれるのではないだろうか。ああ、科学の進歩はダメ人間を生み出しますね。先生、これって量子さんの仕業ですか?

文=清水銀嶺