姫路城の天守は23円50銭で落札された!? 城めぐりが何倍も楽しくなる歴史トリビア

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2017/3/26

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    『よくわかる日本の城 日本城郭検定公式参考書』(著:加藤理文、監修:小和田哲男/学研プラス)

 城に関する驚きのトリビアも満載。城ブームを楽しむための最強公式本『よくわかる日本の城 日本城郭検定公式参考書』が2017年3月14日(火)に発売された。

 城には桜が良く似合う。実際に桜の名所に選ばれている城も多く、高遠城や弘前城をはじめとした多くの城が花見客でにぎわいをみせる。だが、昔から城が桜の名所だったわけではない。城に桜が植えられたのは、城が本来の役割を担わなくなった明治以降のこと。明治6年(1873)の廃城令で、民間や団体に払い下げられた城が公園として市民に開放されるようになった際、桜が植えられたケースが多いのだ。

 そもそも、城には樹木が植えられていなかった。というのも、城が攻められた際、樹木は視界を遮るし、敵にとっては隠れる場所になるから。江戸時代に幕府の指示で描かれた城の絵図でも、樹木が確認される城はわずかで、それもほんの数本。あえて大事な場所を隠す目的で植えられたのも、万が一の際に食糧や薬、燃料になる松や椎などだった。

 日本人のみならず外国人にも観光地として人気の高い城だが、その歴史は波乱に満ちている。城はかつて全国に3~4万程あったと言われているが、時代によって築城や改築、破棄が繰り返されてきた。織田信長や豊臣秀吉も、政権確立の過程で不要な城を破却しているが、江戸幕府を開いた徳川家康はさらに徹底していた。関ヶ原の戦いから15年を経た慶長20年(1615)、家康の発案とされる一国一城令で、全国の城の95%の破却が決まったのだ。当時約3000あったとされた城は、わずか170程に。

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 そして明治6年(1873)の廃城令で、その残った城の大半も取り壊される。当時、城の土地建物は陸軍省の管轄下にあったが、陸軍が使用するもの以外は、売却・処分することになったのだ。廃城の対象となった城は約150。そのうち破却を免れたのは4分の1程度だった。運よく残された城も傷みの激しい建物は取り壊され、姫路城の天守ですら23円50銭という安値で落札されたという。全国から次々と城が姿を消していくなかで、城を文化遺産として残そうと考える人たちも現れた。政府要人の活躍もあったが、国宝の松本城や松江城は、実は民間人の働きによって守られた城である。

 城にはたくさんの物語があるが、その歴史は縄文時代の堀をめぐらせた集落にまでさかのぼる。山頂にあったものが平地に移り、信長の時代には天守が出現。軍事色よりも政治色が濃くなり、構造の変化は建築技術も進歩させた。城の歴史は、日本の歴史ともいえるだろう。

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 そんな城の「歴史」と「構造」が1冊でわかるのが、『よくわかる日本の城 日本城郭検定公式参考書』。「日本城郭検定」は年2回開催されている教養検定で、最難関の1級合格率は5%に満たない。その「公式参考書」として認定されている同書は、296ページの圧倒的な情報量に、図版・写真も満載。そして、巻末には「検定統一城郭用語集」も付いた「最強の城本」である。

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 これを読めば、日本の城めぐりが何倍も楽しくなること請け合い。お城ビギナーはもとより、すでに多くの城を訪れた人にも、必ず新たな発見があるだろう。

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