樋口卓治『ボクの妻と結婚してください。』の番外編が読める! 書き下ろし新作を無料公開


とある広場で“あの人”


今月の“あの人”は…ボクの妻と結婚してください。』

業田

ボクの妻と結婚してください。』 樋口卓治/講談社文庫

放送作家・三村修治は、ある日、すい臓ガンで余命6カ月を宣告される。45歳の彼には、結婚して15年になる妻・彩子(38歳)と一人息子の陽一郎(10歳)がいた。忙しさにかまけて家庭はほとんど顧みない夫だったが、この非情な通告を受けたときから彼の頭の中で渦巻いていたのは「妻になんて言おう」ということだけ。彼女を悲しませたくない。根っからの企画屋だった三村に与えられた最後の宿題「妻のために余命6カ月をどう生きるか」。熟慮を重ねた彼が導き出したのは、彼女にとって最高の再婚相手を探すという選択だった。愛する人の未来に幸せを残すと決めた三村は、妻に内緒で婚活を始めた。笑いながら涙があふれる奇想天外な家族小説。

『ボクの妻と結婚してください。』番外編

まったくなんて夫婦なんだ。【第一話】 樋口卓治


写真提供=Getty Image

 プロデューサーの業田が、Aスタジオ前の喫煙室でタバコに火をつけようとした時、マネージャーの竹腰がガラス窓にぬっと現れたので、業田の口が「あ」と開き、タバコが落ちた。

「もう電話にも出てくれないじゃないですか、今日が締め切りなんですよ」と竹腰はタバコを拾って渡した。

 業田は竹腰からお笑いコンビの命名を頼まれていた。

 去年、業田が命名したお笑いコンビがコンテストで優勝したからだ。今年も若手コンビがエントリーすることになり、頼まれていたのに一向に思いつかなかった。

 業田は、「ちょうど、考えていたんだよ」と取り繕う。

「いいのお願いしますよ」

 業田はタバコを挟んだ手の親指で鼻の頭をかきながら少し思案して言った。

「お笑い界の憩いの場になってほしい、そんな意味を込めてイップクヒロバっていうのはどうだ?」

 竹腰は上目づかいで何度も「イップクヒロバ」と繰り返すと、

「いい、いいですね。なんか売れそうだ。これでエントリーさせてもらいます」と竹腰は携帯にメモを取り、上機嫌で出て行った。

 業田はタバコをくゆらしながら、喫煙室の壁にかかっている『一服ひろば』の看板を見つめほくそ笑んだ。

 タバコを灰皿に捨てる。ジューッと音がしたのと同時に携帯が震えた。 “知多かおり”と表示された画面を見て、人気のない場所を探し飛び出した。

 知多はかつて業田の番組のリサーチャーをしていたが、今は結婚相談所の社長をしている。

「もしもし、どうだった?」

「うん、それがね……」と知多は一瞬口ごもり、泣きそうな声で、

「やっぱり、会って話をしたいって。もう私じゃ無理。ゴウちゃんから言ってくれないかな」

「俺から? 無理無理、絶対に無理」

「とにかく、今から局に行くから、そこで話そう。ねっ、お願い」

 一時間後、業田は太平テレビのロビーのカフェにいた。そういえば今日は会議の連続で朝から何も食べていない。メニューに

『昔ながらのジャガイモカレー』という文字を発見すると条件反射のように手を挙げた。

「カレーちょうだい」

 ウェイトレスは「すみません。そちらはもう売り切れてしまいました」と頭を下げた。

「そうなの」とタバコをくわえると「ではコーヒーをください」と平然を装い言った。

「私もコーヒー」と声がした。振り返ると知多が立っていた。

 知多はこれまでの状況を業田に説明した。業田は頷く代わりにジッポーのふたを開けたり閉めたりした。

 話は1カ月前に遡る。

 知多の結婚相談所に放送作家の三村修治がやってきて、ある依頼をした。

「妻の結婚相手を探してもらえますか」

 知多は口を開いたまま数秒固まった。言葉は理解できたが意味が理解できない。

 三村はすい臓ガンと診断され、残された家族に明るい未来を残すため、妻の再婚相手を探してほしいという。

 知多は、三村の言葉を何度も心のうちで反芻した後、声を整え、

「三村さん、あのね、一日も早く入院してください」と言った。

「知多さんにお願いすれば、名医が現れそうだけど、もう治療の段階じゃないんだ」

「奥様は三村さんの病気のことを知らないの?」

「まだ、言ってない」

「いやいやいや、奥様に病気のことは話していないなんてあり得ないでしょ。再婚相手を探してだなんて、死んでまで妻を束縛したいってこと? それは男のエゴってもんでしょ」

 病人を前に、そう口走ったことを後悔したが、それは率直な本音だった。

 加湿器の音だけが部屋にこだました。

「なんでこんな悲しいことを家族に報告しなきゃ、いけないんでしょうかね。嬉しいことだったらともかく、病気のことを妻に何て言っていいのやら」

と三村は、自分の病気のことより、家族のことを気にしていた。

「なんとか、妻の悲しみを減らしたい……。そればっかり考えてしまって」

「だからこそ治療に専念するべきでしょ」

 三村は組んだ手を見つめながら言った。

「妻の未来を考えると病気の恐怖から逃れられるんです」

 知多は二の句が継げずにいた。

「再婚相手を探してるなんて、妻にバレたら、マジで怒るだろうな。今から怖くなってきた」

 知多は勇気を出して聞いてみた。

「三村さん、この企画のエンディングどうなるの?」

「最高にいい結末にします。放送作家の意地を賭けて」

「…………」

 三村の目は番組会議で生き生きと発言している時の目だと知多は思った。

「奥様の名前を教えていただける?」

「三村彩子です」

 と知多は依頼を引き受けてしまった。

 知多の話をじっと聞いていた業田が、「それで協力することにしたってわけか」と言うと、知多はコーヒーをすすりながら頷いた。

「でも彩子さんにバレちゃったんだろ、なにやってんだよ、三村は」

 知多は彩子の相手として伊東正藏という候補者を見つけた。

 三村は結婚相談所の社員になりすまし、何度も伊東と会い、この人しかいないと確信した。そして、いよいよ伊東に妻を引き合わせようとした矢先、この計画が妻にバレてしまったのだ。

 彩子は結婚相談所の社長が知多だと知り、なんとか止めるように夫を説得してほしいと言ってきたのだった。

「なんか私が黒幕のように思われているみたいでさ。もう、どんな顔で会っていいかわからない。お願い、ゴウちゃんも来て」と手を合わせた。

「なんで俺が巻き込まれなきゃいけないんだよ」

「プロデューサーと放送作家は夫婦みたいなものでしょ」

「今、それ関係あるか……。ていうか、会ってどうする気なんだ? 三村を説得しますって言うのか」

「わかんないよ。なんのためにお会いするのかもわからないけど、誰かが支えてあげないと可哀想でしょ」

「彩子さんは何時に来るんだ?」と業田は腕組みをする。

「来てくれるの?」知多はほっとした顔を見せ、「午後3時」と言った。

 業田が時計を見ると、午後2時を回った辺りだった。

「わかったよ」と言うと、

「その前に、1本だけ」

 そう言ってタバコに火をつけた。

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ひぐち・たくじ●1964年、北海道生まれ。放送作家として『さんまのSUPERからくりTV』『学校へ行こう!』『笑っていいとも!』『お願い!ランキング』などを担当し、2012年『ボクの妻と結婚してください。』で作家デビュー。他の著書に『もう一度、お父さんと呼んでくれ。』『続・ボクの妻と結婚してください。』『「ファミリーラブストーリー」 』などがある。




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