『モンハン』のデザインを担当した著者が見せた、圧倒的な筆力! 戦の道具として人間に使役される半人半馬の種族「人馬」が、時代と人と戦う物語【インタビュー】

マンガ

更新日:2017/4/24


『人馬』(墨佳遼/イースト・プレス)

 古来より、この国には半人半馬の「人馬」(じんば)という種族がいた。人馬たちは「豊穣の山神」として敬愛されていた時代もあったが、戦国の世になると一変。「武力」として、人間の「道具」となった。

 山岳に住む雄々しい人馬・松風(まつかぜ)はある日、人間に捕えられてしまう。猛々しい彼の捕獲を助けたのは、小雲雀(こひばり)。幼い頃人間に捕獲され、両腕を切り落とされた「無腕」の、元は平地で育った人馬だ。見た目も麗しく人間に従順な小雲雀。将軍の騎馬として一生を終えるはずだったが、彼は松風のような人馬を待ち望んでいた。――「自由」を得るために。

『人馬』(墨佳遼/イースト・プレス)は、勢いのある作画と胸熱な展開で大注目の新鋭、墨佳遼氏のデビュー作だ。

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 墨佳氏の経歴は、ちょっと変わっている。以前は人気ゲーム『モンスターハンスター』のデザインを担当していた。そのキャリアもあって、馬や、馬が疾走する描写がとてつもなく巧い。また、当時から本職のかたわら個展を開いていたこともあり、「画」が与えるインパクトが強く、本作の世界観をより強固にしている。

 そして、いよいよ第1部の完結となる第2巻が4月17日に発売される。そこで、墨佳氏に『人馬』のこと、絵が上手くなるコツ、ゲームデザイナーの仕事……気になるあれこれを聞いてみた!

――本作一番の「見せ場」はどのシーンですか?

墨佳遼氏(以下、墨佳)それぞれ見せ場のイメージが違うので「これが一番です」というのは、僕の中にはないです。各話ごとに、見せ場をひとつ表現出来たらいいなと思っていて。例えば、キャラの感情が爆発する回なら、ちゃんとその爆発が見せ場になっているか、どんな場所でどんなことをしているかを見せ場とするなら、その背景がちゃんと描けているかとか。その見せ場が、ちゃんと読んでくれた人に伝わっていたら嬉しいです。

――「人馬」という奇抜な発想のアイデアはどこから得たのでしょうか?

墨佳 奇抜なものを描いているつもりはないです。元々モンスターのデザインをするにあたり、動植物、菌類魚類、様々な生き物を観察したり、勉強することが多かったんですが、不思議なものが当たり前に存在しているんですよね。人間の社会や常識に当てはめると異常でも、地球レベルで言えばそれが日常で常識で、むしろそっちの方が普通で(笑)。

「人馬」の着想は、元々馬が好きで、「日本の在来馬がケンタウロスになったらどうなるんだろう」と思っており、自分で鎧武者のケンタウロスを描いてみたところ、「かっこいい!」となったのが始まりだったそう。

――馬を描く上でのこだわりや、うまく描くコツはありますか?

墨佳 描くうえでのこだわりは、そのものの持つ躍動感や存在感です。コツっていうのは基礎鍛錬の上に乗っかるもので、一言で表わせられないのが難しいですが、最初は沢山のスケッチ、本物を見て、触るのが一番いいとは思います。今なら動画を流しながら作業も出来ますから、ここぞという場面を一時停止して3分でスケッチ……みたいなことは、ほとんど毎日やっています。躍動感のある絵を練習するためには、動物園に行って「一時停止できない動物」をスケッチするのが、一番いいコツだと思います。

――本作は仮想日本の時代物ですが、実際の日本史はお好きですか?

墨佳 歴史は好きなんですが、事件とか人物にはすごく疎いです。それよりも、仏像が好きですね。その時代に作られたものには、その時代が必ず反映されていて、そこに想像を馳せるのが面白いんです。

飢饉や疫病が流行り、沢山の人が何かにすがらなければ生きられなかった平安時代には、≪人を超越した姿の仏像≫が多く、一方で人を殺める武士たちが台頭した鎌倉時代には、祈りをささげるものとして≪より人に近い肉感を持つ姿を取るようになった仏像≫が多いという説も。ちなみに、『人馬』の世界は、鎌倉~室町時代を合わせたようなイメージだそう。

――本作の中で、「正直、ここは趣味に走りました」というような設定(展開)があれば教えてください。

墨佳 むしろ「ここは趣味に走りました」という部分はそぎ落としています。腕を落とされ、人間の道具として生きていた小雲雀は「趣味でしょ?」と言われることもあります。ちょっと時代を遡れば昭和の終わりのTV番組なんて放送禁止用語のオンパレードで、それがおかしいとも、変だとも思わないで、当たり前にあった。同じように、小雲雀の「無腕」は『人馬』の世界にとっては当たり前。それが「時代を反映するもの」として描かれているだけなのです。
 ただ、描写には随所に趣味が現れていると思います(笑)。

――ゲームで描く「デザイン」とマンガの「画」では、相違点はありますか?

墨佳 デザインをやっていた時は「細部まで綿密に描く」「見えない部分も描く」というのがありました。デザインは設計図で、絵は図面に表すツールなんですね。それから立体に作り起こしてくれる人に、デザインを渡して作ってもらわないといけない。
「これはどんなキャラだから、どこを押さえればカッコよく作れるか」などを、そのデザインを初めて見た人に伝わるものにしないといけない。そういう「徹底的に情報を描き込み、描き切る」大変さがありました。
 漫画は「分りやすくそこに表現するために描く情報と省く情報を切り分け、基本読み飛ばさせるものだ」というのが僕の中にあって、一つ一つを綿密に描くのではなく、いかに気持ちよく読み飛ばせるかどうか。読者に、広告のように一目見ただけで起こっていることやキャラクターの感情が分かるように、視線の流れにも気を付けて描いています。
漫画は「ゆがみ」を描けないといけない。そこにはデザイン業務で培ったデッサン力はかえって枷(かせ)になりました。

―― 一方で共通点はありますか?

墨佳 伝えたいと思ったものを初めて見る人に伝えられるかだと思います。ゲームデザインの大変さは、相手のオーダーにいかに応えるかです。自分が描いたこともないオーダーが来るのか普通です。それを自分なり描いていく。そのために調べて練習して勉強して引き出しを広げていく作業を繰り返します。その結果、自分の中に引き出しとしてストックが増え、そこから様々な組み合わせを錬金して(笑)相手の予想を裏切り、期待に応える表現が出来たときの面白さというのはあります。
大変な事だらけですけど、その苦労の先にある面白さ、そしてそれが自分の糧になる事も分かっているので、仕事でデザインをするのは本当に楽しいです。

漫画は「相手の」ではなく「自分が」どう思っていて、何を考えているのか。それを伝わるように表すために、真っ向から向き合わないといけない大変さがあると思いました。

――ありがとうございました。墨佳氏の並々ならない「画」への情熱を本作から感じとっていただきたい。

文=雨野裾