「残酷な転勤」と「前向きな転勤」

ビジネス

公開日:2017/4/13


 4月は異動の季節です。新たな場所で新年度を迎える人も多いでしょう。異動の中には、単なる部署異動、勤務地変更を伴う異動、さらに転居までが必要になる転勤があります。

 この「転勤」ということについて、季節柄もあってか、ある二つの記事が目に留まりました。

 一つは、転勤を避けるため、あえて一般職を選ぶ就活生の話です。女子学生の場合、今でも総合職とは別の採用区分、俗に「一般職」といわれる採用がありますが、ここに「総合職でも当然」と思えるような高学歴の女子学生が殺到しているのだそう。その理由には、自身の結婚や出産とともに転勤の有無があり、プライベートを大切にしたい、転勤がない方が、結婚しても仕事が続けられるのではないかというもので、「総合職のキャリアは結婚や妊娠、出産のタイミングで断絶しやすいと気付き、ゆるくキャリアを続けられる一般職のほうがいいと考える学生が目立つ」ということだそうです。

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 もう一つは、50代の元上司に対して、転勤命令を伝えた40代後半の課長職の話です。
元上司が部下ということで何かと難しさがあり、彼の転勤の話は自分も正直ホッとし、彼にも良い話だと思ったそうです。しかし、この元上司は数年前から父を介護するために同居していたそうで、奥さんだけに介護を任せることはできないので転勤は勘弁して欲しいと相談されたそうです。自分の上司に相談したそうですが即答で否定され、たぶん彼は転勤を受け入れるしかないだろうということでした。50歳以上をお荷物扱いし、転勤させてから賃金減額か退職を選ばせようという、体のよいコスト削減、リストラの要素があるようです。

 私は今まで転勤をした経験がありません。その理由は、転勤は絶対に嫌だと思っていたので、新卒の頃からそういう会社を選ばなかったからです。特に住む場所というのは、その人の生活の最も基盤になることであり、それを会社に翻弄されたくないと当時は思っていました。今は、会社の人員配置の上で転勤は必要なことだと思っていますが、これが自分に降りかかって来たとしたら、よほどのメリットが限りは、やはり昔と同じように受け入れられないと思います。

 もちろん、私の友人や周りの人でも、転勤によって経験を積んだり見聞を広めたりという「前向きな」転勤をしてきた人たちはいますが、その一方で、家庭の事情で単身赴任を余儀なくされ長らく別居が続いたため、その後の家族関係が円滑にいかなくなったという人もいます。50歳を超えての転勤という人もいますが、やはり同じく単身赴任で、住み慣れた我が家からは離れて生活しなければならなくなっています。

 私は「残酷な」転勤だと思います。

 ここで「前向きな転勤」といえるのは、若くてまだ経験を積んでいる途中で、なおかつ期限が区切られていて独身で身軽なうち。または、転勤先から望まれて、なおかつ本人も行くことができる家庭環境である場合などに限られると思います。多くの人は、転勤で100%良かったことばかりではなく、プライベートに関わる部分をずいぶん犠牲にしているでしょう。子供の教育、配偶者の仕事、親の介護、代々の家や土地、地縁や血縁などの事情が絡んでくれば、転勤が容易でない人は多いと思います。

 転勤というのは、会社もそれなりの配慮をすることはありますが、よほどの理不尽さがなければ、法的には会社の裁量が大きく認められています。基本的には会社の都合だけで決められるということで、社員としては辞める覚悟がなければ、これには反論できないことがほとんどです。

しかし、私はここまでして「転勤」というものが、本当に必要なのかと思います。

 終身雇用が維持されていて、長い期間をかけて社内の多くを知るということであれば、意味があったのかもしれませんが、今はもうそういう時代ではありません。「転勤」ということも、今の雇用環境に合わせて、少し考え直すべき時期にきていると思います。これからは人手不足の時代です。転勤を「前向きな」ものにできない会社には、もう人は集まってこないと思います。

文=citrus ユニティ・サポート小笠原隆夫