患者に寄り添う医療とは? 自分の意志を示せない患者の希望を誰が決めるのか? 若き精神科医の独白

社会

公開日:2017/4/18

『精神科病院で人生を終えるということ その死に誰が寄り添うか』(東徹/日経BP社)

 医療は患者に寄り添うものであってほしいと、多くの人が思うことだろう。では、厚生労働省が2020年の東京五輪・パラリンピックに向けて、病院の敷地内全面禁煙を推し進めていることについてはどうか。病院なのだから当然と考えるかもしれないが、終末医療に携わる医療関係者からは反対の声も出ている。余命少ない患者に寄り添うのなら、患者の望みを叶えるのも医療のはずである。いや、終末医療でなくとも患者の望まない治療を無理強いすることの無いよう、「正しい情報を伝えた上での合意」であるインフォームド・コンセントは、医療現場において当たり前でなければならないだろう。

 しかし患者本人の思考力が低下している場合、それは当たり前とはなりえない。『精神科病院で人生を終えるということ その死に誰が寄り添うか』(東徹/日経BP社)は、精神科単科病棟の「身体合併症病棟」に勤務する精神科医の独白による「架空」の物語である。

 あくまで「架空」というのは著者の弁で、多分にデリケートな問題を含むからにほかならない。「身体合併症病棟」という聞きなれない施設は、「精神疾患を合併した身体治療が必要な方」が入院する病棟のことだそうだ。そこでは様々な症例があり、一例を挙げると精神科の薬剤には食べた物を飲み込む「嚥下機能」を低下させるものが多く、誤嚥は肺炎の原因ともなるため、身体の治療が必要になるという。

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 そして、一般病棟であれば患者に治療方針を説明して同意を得るところだが、統合失調症であったり認知症を患ったりしている場合は、家族に確認することになる。けれども、患者が高齢であると家族がすでに亡くなっていたり、存命であっても関わりを拒否されたりするケースがあり、その場合は友人や法的な後見人に相談するそうだ。そこで問題になるのは、それを本当に本人の意志と同等に扱って良いのかということ。

 もう少し身近に引き寄せて考えてみると、風邪で発熱し体がだるくて動くのもつらいから病院に行かずに寝ておこうという判断は、果たして正常な判断だと云えるだろうか。あるいは、病院に行きたがらない人は、本人の性格や嫌な体験ゆえかもしれないが、それは病気による思考力の低下が原因とは考えられないだろうか。本書によれば、健康な時に下した判断と、病気になってからとでは気持ちの変化があり、それは本人のみならず患者の関係者も同じであるため、予め延命治療を断られていたとしても、状況が変わるたびに確認をしているそうだ。

 本書では本編とは別に、2016年7月に起きた「相模原障害者施設殺傷事件」についての論考がある。発生当初は「優生思想」を持った犯人による精神障害者への差別的な犯行と思われたのだが報道によると、犯人自身が精神疾患を持っており措置入院していた時期もあるとされる。著者は精神科医の倫理として、自分が診察していない患者について診断することを自身に戒めつつ、「予見可能だったとして、事件を防ぐことはできたのか」と問題提起している。仮に医師が、患者が触法行為に及ぶ可能性アリと診断しても、病気治療が職域だから拘束する権限など無い。では、医師の助言を受けて警察が拘束できるかといえば、犯罪を行なっていない段階での予防拘束など現行法では無理だ。一方、精神科医療の現場では患者の人権に配慮して、拘束するのは限定的な運用に留めることになっている。たが、患者に寄り添う医療として考えるのならば、刑罰の対象となる触法行為を行なわないように拘束するほうが患者の利益になるとも考えられる。

 その答えは、著者の想いとして本書に示されているものの、あくまで個人の見解に留められている。何故なら、この問題は「物語」ではなく「現実」だからだ。

文=清水銀嶺