日本で暮らす「朝鮮籍」=北朝鮮国籍、ではないという事実―なぜ彼らは「朝鮮籍」にこだわったのか?

社会

2017/4/19

『ルポ 思想としての朝鮮籍』(中村一成/岩波書店)

 日本で暮らす「朝鮮籍」者は大韓民国の国籍所有者ではないことから、便宜上旅券の申請などは朝鮮総連が窓口になっている。だからなかにはDPRK(朝鮮民主主義人民共和国=北朝鮮)の旅券を持つ者もいることはいるが、「朝鮮籍」とは北朝鮮国籍を指すものではない。『ルポ 思想としての朝鮮籍』(中村一成/岩波書店)の前書きにも、このように記されている。

「朝鮮籍」、それは、植民地時代、皇国臣民として戦場にまで動員した朝鮮人を、敗戦後、「外国人」として無権利化する際、外国人登録証明書の国籍欄に記された「地域の総称」である。

 韓国にもDPRKにも国籍が帰属しない彼らの身には、不便と不自由がつきまとう。真っ先に挙げられるのは日本を出国する際の手続きが煩雑なことと入国が困難な国があること。そしてDPRKが何か起こした際、悪意の矢面に立たされてしまうことだ。

 それでもあえて、朝鮮籍を保持する人たちがいる。この本に登場する6人はいずれも現在まで、「朝鮮籍」にこだわってきた。しかし彼ら彼女らの「思想」とは、日本や韓国を忌避してDPRKを支持するなどといったものでは決してない。

 詩人の鄭仁(チョン・イン)さんは「確かに朝鮮総連の活動家でもないのに朝鮮籍は、今時珍しいわな」と笑い、民族学級(在日韓国・朝鮮人の子供たちが言葉や文化を学ぶ場。民族学校ではない)の講師をしてきた朴正恵(パク・チョンヘ)さんは、朝鮮人の父と日本人の母の間に日本国籍者として生まれている。米軍政下にあった朝鮮半島で、約3万人が虐殺された「済州島四・三事件」を描いた小説『火山島』(文藝春秋)著者の金石範(キム・ソッポン)さんは「朝鮮というのは記号ですよ。なぜ我々が記号の存在であるかということ。北朝鮮と日本の国交正常化が実現すれば、朝鮮籍は半強制的に共和国の国籍になります。(中略)でも私は韓国籍も北朝鮮籍も取らない」と問題提起し、朝鮮人被爆者の支援を続ける李実根(リ・シルグン)さんは、「『祖国』と言われればワンコリアですよ」と言い切る。彼らの朝鮮籍とはいわば「朝鮮半島にルーツを持つ自分が、この日本でどう生きるか」の矜持を形にしたものなのだ。

 彼ら彼女らの声を聞きとるべく東奔西走したのは、フリージャーナリストの中村一成(いるそん)さんだ。中村さんは祖国とは何かを相手に問うことで、「国民国家では割り切れない、人間としての実存」を描き出している。

 この本に登場する6人はいずれも、1920~40年代に生まれている。いわば植民地時代に帝国日本の「臣民」として生まれた朝鮮籍者なのだが、日本人教師による壮絶な虐待や学校でのいじめ、アイデンティティの危機や暴力をともなうイデオロギー闘争などをくぐり抜けている。しかし決して、彼ら彼女らの人生は悲惨なだけではない。

 たとえば『生きることの意味』(筑摩書房)で日本児童文学者協会賞を受賞した作家の高史明(コ・サミョン)さんは、極貧の中で彼を必死に育てた父や、創氏改名の時代にもかかわらず民族名で呼び続けた日本人教師など、自身に愛情を注ぐ相手と出会えている。喧嘩と悪さに明けくれ、「ゴロツキ生活」を送った朴鐘鳴(パク・チョンミン)さんは、民族教育の現場で教鞭を執る中で、「私自身がそんな清冽で立派な人間でないけれど、せめて考えることはきちっと考える自分でありたい」と思うようになる。ここでは詳しくは触れないものの、それぞれが誰かや何かに依存することなく自身で道を切り拓いていく過程の、コントラストの鮮やかさには目を奪われる。

 しかし同時に、ほんの少しだが不安も感じた。DPRKへの悪意が渦巻く現在の日本では、彼らの真意が伝わらないのではないかと勝手な危惧を抱いてしまったからだ。1人でも多くの人に届いてほしい半面、彼らが毀損されてしまうぐらいなら書店の片隅にひっそりしていてほしい。こんな矛盾した思いを抱えてしまうほど読む者を惹きつけ、大事にしたくなる人生がこの本には描かれている。

 大声で主張する者の声を拾うのはたやすい。しかしともすれば語らないまま去ってしまうかもしれない人たちの言葉を集め、文章に刻む作業は根気がいる。その根気を保ち続けて1冊にまとめた、中村さんに心からの敬意を表したい。

取材・文=碓氷連太郎