社会

「逃げるな、火を消せ!」狂気の「防空法」と、戦時下日本のトンデモ安全神話を読み解く

『「逃げるな、火を消せ!」 戦時下トンデモ「防空法」』(大前治/合同出版)

 突然ですが皆さん、最後に避難訓練に参加したのは、いつでしょうか? 近年は自治体や職場などでも、大規模な防災訓練を実施するところが増えてきましたよね。緊急時にはまず、自分の命を守る行動を取らなければなりません。机の下に潜る・火の始末をするなど、状況によって優先すべきことは変わってきますが、そんな時にもし、自分の身の安全を捨てて、国のために行動しろと言われたら…? 実は日本にも、そんな時代があったんです。

「逃げるな、火を消せ!」 戦時下トンデモ「防空法」』(大前治/合同出版)は、1937年3月に帝国議会で可決成立した「防空法」について、豊富な資料とともに読み解いた書籍です。「防空」とは本来、空からの物理攻撃に対する策として国家が担う活動のこと(軍防空)をいうのですが、この防空法が定める「防空」とは、市民が担う防空体制(民防空)のことでした。制定当初は、灯火管制(夜間空襲の標的にならないよう室内灯や広告灯を消すこと)の義務化や、防空訓練への参加の強制といった内容が中心でしたが、しかしこの防空法は後に大きく方針を転換し、結果として空襲被害の拡大を招くこととなったのです。

 防空法制定から4か月後、盧溝橋事件が発生し、日中戦争は本格化していきます。すると翌年3月には内務省通牒により、空襲警報が発せられた場合であっても、老幼病者以外は原則、避難を認めない…という方針が打ち出されました。さらにその2年後の1940年には、空襲時においても一般市民は「各々自己の持場を守り、防空その他の業務に従事するを本則とすること」が、新たな内務省通牒により求められるようになります。本書のタイトルにもなっている「逃げるな、火を消せ!」という行動様式が、人々の知らないうちに、国の指針として決められていたのです。

 そして、国民は命を賭して国土を守れというこの指令は遂に、罰則を伴う法的義務へと変化します。1941年11月の改正により、防空法には、空襲時における「退去禁止」や、火災の危険が生じた建物の管理者は防火処置をしなければならないという「応急防火義務」が追加され、違反者には懲役刑や罰金刑が科されることとなりました。

只でさえ物資が不足する、戦時下の生活。燃え盛る家屋を消火する手立てなど、現実的にはないはずです。それでも国は、防空指導書や新聞報道などを通じて、「防空」を軽々しく説き続けました。例えば、落ちてきた焼夷弾に対しても、濡れ筵(むしろ)を覆い被せれば火が消えるだとか、手袋を嵌めれば手掴みでも熱くない(!)から、屋外へ投げ出してしまえばいいだとか、およそ現実的ではない無責任な言説を流し続けたのです。

 それにしても、こうした間違った知識の流布や、空襲時における避難の禁止は、なぜおこなわれたのでしょうか。戦争の遂行にあたっては、兵力となる人命の喪失を防ぐ方が、合理的ではないかとも考えられますよね。

 この疑問を解く鍵として大前氏が提示しているのは、1941年11月におこなわれた、防空法改正を審理する衆議院防空法改正特別委の記録です。時の陸軍省軍務課長であった佐藤賢了は、太平洋戦争を直前に控え、こう述べたといいます。

空襲をうけたる場合において、……周囲狼狽混乱に陥ることが一番恐ろしい。またそれが一時の混乱にあらずして、ついに戦争継続意志の破綻ということになるのが最も恐ろしい。

 そしてこの発言から、「逃げずに火を消せ」と定めた防空法の真の目的について、大前氏は次のように考察しています。

実際に火を消すことよりも、国民に防空の任務を与えて戦争体制に組み込み、死ぬ瞬間まで「この戦争は間違っている」と気付かせないこと。それによって戦争遂行体制を守ろうとしたのではないだろうか。

 本書のあとがきで大前氏は、この防空法の異常性は、これまであまり強調されてこなかったのではないかと指摘しています。そして防空法には、国の内外を問わず人々に強制や犠牲を押し付けるという、戦争の本質が明確に表れているとして、次のように結んでいます。

あの戦争は正しかったという人々の論拠に、「自衛戦争だった」というものがあります。……政府は国民に対して「生命を投げ出して御国を守れ」と言っていたのですから、もし自衛戦争だったとしても、「国民を守る」という意味の自衛ではなかったのです。防空法とそれが招いた結末をどうみるかは、歴史認識に対する試金石となると思います。

文=神田はるよ



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