人工知能が突きつける課題に、人類はどう答えるのか?『エクサスケールの少女』【書評】

文芸・カルチャー

2017/4/27

 古代と未来、この両極の間で読者はハレーションを起こすだろう。人工知能やスーパーコンピュータ、そしてその先に予言される「シンギュラリティ」という未来的なテーマだけでも、十分すぎるほどに壮大である。しかし本書では、そうした装いはひとつの装置にすぎない。この物語が鼓動するそのリズムは、何時ぞやの未来からやってきたようなよそよそしいものではないのだ。むしろ、神話の誕生と共に始まり私たちの中に今も流れている、古代の猛々しい叫び声と響き合う。

 この二項の対立は、単に時間的な先後関係ということを意味しない。それは物語中で、あるときは神々や人工知能といった「不死の存在」と「死すべき存在」としての人間の闘争として、あるときは「科学」と「自然」の対立という哲学的な問題として姿を現す。主人公の人工知能研究者の青磁、老いることのない妹の萌黄、そして最愛の恋人千歳たちもまた、この2つの間で引き裂かれた存在だ。彼らは強烈な内面の葛藤を抱えながら、そしてAIに対する社会の欲望と畏怖に囲まれながら、矛盾を突破する方途を模索してゆく。

 この物語は、特殊な境遇にある彼らだけのものだろうか? きっとそうではないだろう。彼らの体験と思考を通して、そして作中で取り扱われる様々な諸問題――人種差別、エンハンスメント、国粋主義、迫害、テロリズム――を縦横無尽に接続させることで、物語は私たちに「考えろ!」と呼びかけている。昨今では人工知能についての情報が過剰にあふれているとは言え、多くの人はそれを自分自身の問題としては考えていない。それはどこか遠くの人々の、それこそ青磁のような天才たちだけの問題であるかのように素知らぬ顔である。

 しかし、本書が様々な仕掛けを通して繰り返し呼びかけるように、実際は、それは私たちひとりひとりにとって切迫した課題なのだ。私たちは、新しい存在をどのように受容/拒否するべきだろうか。彼らの到来によって私たち自身の生命観が脅かされることはないだろうか。いや、そもそも、人工知能以前に、私たち人間とは一体「何者」だったのか。人工知能について正面から考えようとするならば、こうして私たち自身に対する照り返しを受けることは避けられない。私たちはどこからやってきて、何を価値として生き、どこへと向かうのか。これまで哲学者だけの問題だったかもしれないこうした問いは、人工知能の到来によって人類全員の課題となるのである。

 本書はこうした問いに誘い込むようにして、私たちのルーツと、これから向かう未来とを繰り返し往復させる。この体験は、私たち読者を大いに興奮させ、疲弊させることだろう。しかしそれを単なるフィクションの読後感として片付けることは許されない。この物語の恐ろしさは、時間的な延長やリアル/アンリアルの差異を飛び越えて「beforeとafterの両方を持った、“今”」へと結晶化されるところにあるのだ。人間と人工知能の歴史がユートピアとなるのか、それともディストピアとなるのか、それはまさに現在の私たちにゆだねられている。本書のこの強烈なメッセージに対して、私たちはどう応答するべきだろうか?

-哲学研究者  大山 匠-

 

〈プロフィール〉
大山 匠(おおやまたくみ)●上智大学大学院哲学研究科博士前期課程卒。「人工知能のための哲学塾」スーパーバイザー。人間の意識と人工知能の関係を主な研究領域としながら、AI開発者、データサイエンティストとしても活躍している。