病に侵された“愛犬”とともに見つけた希望とは? お涙頂戴ではない、だけど感涙必至の半自伝的小説『おやすみ、リリー』

文芸・カルチャー

2017/5/6

『おやすみ、リリー』(スティーヴン・ローリー:著/ハーパーコリンズ・ジャパン)

永遠の別れが耐えがたいのは、相手が動物でも人間でも同じ。
リリーは12歳。犬年齢で84歳のダックスフント。42歳の“ぼく”ことテッドは、ある日、愛犬の目の上に張りついた“タコ”が、彼女を食べようとしていることに気がつく――。“ぼく”とリリー、そしてタコの会話を中心に、ややファンタジックに描かれる本作『おやすみ、リリー』(スティーヴン・ローリー:著/ハーパーコリンズ・ジャパン)は、腫瘍に侵された愛犬との別れを綴った著者の半自伝的小説だ。翻訳者は『ダ・ヴィンチ・コード』などで知られる越前敏弥さん。越前さんが訳出中に泣いたのは、名探偵ドルリー・レーン四部作の最終作以来、二度目のことだという。

越前敏弥さん(以下、越前)「犬も猫も飼っていない僕なので、これほど心を揺さぶられるとは、正直なところ、意外でした。といっても、お涙頂戴の感動話とは違うんですよ。むしろ第一章は、タコの登場があまりに突飛で、なんだこの変な話は、と読みながら笑ってしまった。もちろん、だんだんと愛犬を失う話だとわかってくるんだけど、その妙におかしみのある描写はずっと続いていきますし、泣くより笑う場面のほうが多い気がします。愛犬の病に直面した、ちょっとヘタレな主人公が、現実と妄想の間で右往左往しながら成長していく姿を楽しめる作品でもある。その過程の随所に、リリーへの深い愛情が溶け込んでいるから、ボディブローのようにじわじわと効いてくるんです。

実際、僕が泣かされたのも、リリーとの別れのシーンだけではなく、妹の結婚式に出席して『いっしょに育ってくれてありがとう』と思うとか、失恋を引きずり続けていた彼が『また恋がしたい』と口にするとか、後ろ向きだった彼がリリーとともに成長している姿が垣間見えるところなんですよ」

テッドは自分について、多くは語らない。だが〈母さんから「愛してる」と言われずに育った〉〈ぼくが最も蔑み、嘲るのはいつも自分自身だ〉などの描写から、どこか満たされない人生を歩んできたことがうかがえる。そんな彼が、出会ってわずか9時間の子犬を腕に抱いたとき、泣き崩れる。母親からの愛を求め続け、愛には限界があると絶望していた彼が、自らめいっぱい愛することを知った。リリーとの出会いが、テッドの人生を変えたのだ。

越前「具体的なことはほとんど書かれていないけれど、過去に多くのつらい目に遭ってきたんだろうことは全体を通して滲み出ています。それは彼が同性愛者であることにも起因しているけれど、僕はそれを、特別なこととして強調したくなかった。母親との関係に確執を抱くのは同性愛者に限らないし、彼がうじうじしがちなのも、単にそういう性格だから。埋めようのない孤独を抱えていた彼がリリーと出会い、彼女のほうから飼い主として選んでくれたことで救われたんです。かけがえのない相手だからこそ、永遠の別れは耐えがたいものとなる。その懊悩はどんな立場の人間であっても、相手が動物だろうと人間だろうと、変わらないものだと思います」

死にゆく未来を含めて
生のすべてを肯定する物語

テッドは決して、タコを腫瘍とは認めない。あくまで幸せな日常に闖入した敵として扱い、どうにかして退けようと奮闘する。時にはサメのプール遊具を並べてみたり、本物の海に繰り出してタコを捕獲しようとしたり。その姿は傍から見れば滑稽だが、むしろそれゆえにテッドの深い哀しみと絶望が浮かび上がってくる。

越前「タコとの格闘は、テッドにとって、自分の弱さを捨てていく作業でもあったでしょう。タコと向き合えば、リリーの死という現実に対峙しなくてはならないし、すなわちどう看取るかという決断をしていかなくてはいけないのだから。一方でタコは、悪役なのにどこかユーモラスに愛情をもって描かれている。それはやはり、タコに自分自身を映しているからかもしれません。この作品についてあまり理屈っぽいことは言いたくないのですが、タコは、誰しもが抱えている苦悩や弱点を象徴しているともいえるでしょう。だから犬を飼っていまいと本作は読む人の心を打つ。読者の方にもぜひ聞いてみたいですね。あなたにとってのタコはなんですか、って」

読者からは、自身の体験した喪失と重ね合わせた感想が寄せられた。〈悼みは病的状態なの。ただ、あまりにも多くの人が人生で経験するから、そんなふうに扱おうとしないのよ。どうにか我慢してのりきってくれないかと願うだけ〉とセラピストが言ったセリフで心を揺らされたのは、おそらくテッドだけではないはずだ。

越前「とある読者の『死んでゆく過程こそが生きることなんだ、と思いました』という言葉が心に残っていて、身も蓋もないような言い方かもしれませんが、この物語のすべてを集約しているような気がしました。大切なものを喪うのは、それが人であれ動物であれ、プロセスの一つ一つがとても悲しい。だけどそれさえも受け入れ、生きることを肯定していくことが、この作品の一番大きなテーマだったんだな、と。テッドはリリーが死んだあとに立ち直るというより、リリーに忍び寄る死の予感と戦いながら徐々に再生していっている。そのことに気づいたあと最初から読み返すと、さらに泣けてしまう。一度目より二度目、二度目より三度目のほうがずっと泣けてくる、そんな小説だと思います」

文=立花もも