ASKAと同時期に入院していたライターが考える、覚醒剤事件やブログ騒動の意味

社会

更新日:2019/3/29

『覚醒剤と妄想 ASKAの見た悪夢』(石丸元章/コアマガジン)

 ミュージシャン、ASKAの二度にわたる覚醒剤所持による逮捕劇は日本中を驚かせた(二度目は不起訴)。数々のミリオンセラーを生み出したスター歌手の起こした事件だったことに加え、逮捕後にブログで『700番』と題された手記を発表したのも大きい(投稿後、すぐに削除。加筆して書籍出版)。その内容が、典型的な麻薬常習者の妄想に合致していたからだ。『700番』への世間の反応としては、冷ややかな「嗤い」が大半だったと言っていいだろう。

 しかし、『700番』を「大傑作」と賞賛する人も存在する。自らも覚醒剤体験を持ち、ASKAが依存症治療を行っていた施設で「仲間」だったというライターの石丸元章だ。著書『覚醒剤と妄想 ASKAの見た悪夢』では治療当時のASKAの様子や、覚醒剤が引き起こす感覚について詳細が綴られている。一般人には全く理解できなかったASKAの行動を分析しながら、「妄想」についての概念を更新してくれる内容となっている。

 著者が脱法ドラッグの取材過程で依存症に陥り、東京近郊の精神病院に入院したのは2014年5月のこと。単調なリハビリが続く味気ない毎日に、激震が走る。あのASKAが薬物依存を治療するため、同じ病棟にやって来たのだ。オーラを放ちまくるスターの降臨に、他のリハビリ患者たちは沸き立つ。著者によればASKAは気取ったところもなく、患者同士の雑談や娯楽にも気さくに参加していたらしい。(ただし、ドバイの投資に乗って「王族と会うので数百万円のスーツを購入した」と大真面目に語るなど、危うさは時折のぞかせていたという)

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 著者はASKAの印象を優等生的なアーティスト代表と感じていた。それだけに、退院後に発表された『700番』の内容には衝撃を受ける。あまりにも生々しい薬物使用の描写と、後半を占める盗聴、盗撮被害の訴えを著者はASKAからの「アヴァンギャルド宣言」だと捉える。しかし、世間からの評価は本書の架空アシスタント「あけぼの」が代弁した一言に尽きるだろう。

(前略)「ASKAさんは薬物をやっていた。だから後遺症で妄想を抱いた」って話なんじゃないですか?p.94

 もちろん、可能性としてはそれが一番高い解釈だろう。しかし、著者はこうした断定には言葉を濁す。まず、そもそも世間が覚醒剤の症状を理解していないのに「後遺症」や「妄想」だと決めつけることが納得できないからである。そこで、著者の実感から覚醒剤体験の詳細が説明されていく。「真なる宇宙の静けさ」「バッドトリップこそが至高かつ究極」という言語感覚がすさまじい。

 次に、他人の妄想を嗤い、否定することに著者は抵抗感を抱くからだ。たとえば、オウム真理教を引き合いに出し、彼らがテロ集団へと変貌していった背景には、世間からの「嗤い」があったのではないかと自説を唱える。そして、現代では「多様性を認め合う大切さ」について語られることが多いが、それが結果的に不寛容を生み出していると問題提起していく。

誰にとっても、認められないものがある。それを認めてしまったら、自分の妄想世界が壊れてしまうようななにかがある。しかし、それさえをも認めろと求められる―。p.235

 自分の見ている世界が誰かにとっても同じ世界だとは限らない。もしも自分にしか分からない世界の解釈を見つけてしまったら、人はそれを「妄想」と名付けるだろう。たとえば、ASKAのブログのように。

 しかし、宗教、恋愛、芸術、ありとあらゆることに妄想はつきものだ。妄想を否定し同じ価値観からはみ出た人間を「嗤う」世界が訪れれば、生きづらさが生まれるのは当然である。本書は決して覚醒剤を肯定しているわけではなく、覚醒剤やASKAの騒動を通して「妄想世界」の重要性を考え直そうとしている。他人を嗤うのではなく、自分の世界に自信を持って生きることのほうが幸福に近づけるのではないかと呼びかけているのである。

文=石塚就一