ヒップホップとラップは別物? トランプからフリースタイルダンジョンまで、ラップはどこに向かっているのか?

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公開日:2017/5/21

『ラップは何を映しているのか――「日本語ラップ」から「トランプ後の世界」まで』(毎日新聞出版)

 今、ラップが熱い。特にここ3年ほどのミュージックシーンを見渡せば、ケンドリック・ラマー、ドレイク、カニエ・ウェストなど、世界的セールスと評価を両立させた作品に多くのラップ・ミュージックが含まれていることが分かる。ここ日本でも『高校生RAP選手権』『フリースタイルダンジョン』といったテレビ番組をきっかけに空前のMCバトルブームが巻き起こっている真っ最中だ。

 一体、ラップはどうしてここまで世界に受け入れられたのだろう。『ラップは何を映しているのか――「日本語ラップ」から「トランプ後の世界」まで』(毎日新聞出版)はラップを通して激動の時代を見つめようとする、識者3人の鼎談本だ。参加者は慶應義塾大学教授にしてアメリカ音楽研究家の大和田俊之氏、音楽ライターの磯部涼氏、批評家でありラッパーでもある吉田雅史氏。三者三様の視点が交差し、ラップを入り口にしてさまざまな事象を考察する本書は、ラップに興味がない人でも楽しめる内容だ。

 ラップとはご存知、ビート上で話し言葉のように歌詞を乗せていく歌唱法のことである。特にヒップホップとラップは密接な関係にあり、ラップといえばヒップホップのことだと認識している人も多い。

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 しかし、本書は「ヒップホップという言葉はアメリカでほとんど使われなくなっている」という衝撃の解説から始まる。ヒップホップとはもともと、70年代半ばのサウスブロンクス発祥で、「DJ」「ラップ」「グラフィティ」「ブレイクダンス」の4大要素から成立する黒人のユース・カルチャーだった。しかし時代は変わり、現代では4大要素がそれぞれ独自の発展を遂げてきているという。中でもラップの求心力は高く、時代と共にさまざまな音楽ジャンルを横断し、広く愛されてきた。ラップがヒップホップだけのものとは言い切れなくなってきたのだ。

 ラップが他ジャンルの音楽にも取り入れられるようになった理由はその情報量ゆえだ。ラップでは、通常の歌唱法と比べて言葉数が圧倒的に多くなる。それゆえ、内容が他のポップミュージックよりも内省的表現や政治的表現に適していると思われてきた。ラップが「いま」を映している、という多くの言説もこうしたラップ・ミュージックの特徴に根拠を置いているのだろう。

 しかし、吉田氏は序文でこうした言論への疑問を呈する。たとえば、ラッパーたちはドナルド・トランプが大統領選挙を戦っていた頃、多くのアンチ・トランプ・ソングを発表した。しかし、結果は周知の通りである。「ラップはいまを映している」といえるほど問題は簡単ではなかったのだ。そのため、ラップが真に映し出している価値観を探ろうとする3人の議論は白熱していく。

 日本人にとって新たな視点となるのは、マイノリティーである黒人が商業的成功を収めるために選んだラップ・ミュージックでは、白人から見た黒人のイメージを反映しているという可能性だ。そこでは、セックスや犯罪が過激に歌われるギャングスタ・ラップも、人種問題を繊細に訴えるコンシャス・ラップも、「黒人が演じる黒人」の姿なのかもしれない。

 賛否両論ある日本のMCバトルブームについても言及される。「コンペディションが中心となったカルチャーは衰退する」というユウ・ザ・ロック氏の発言を引き合いに出しながら、それでもラップとコンペディションは切り離せないと磯部氏は考える。『高校生RAP選手権』で人気に火がついたラッパー、T-Pablowが自身の音楽ユニットであるBAD HOPを通して、地元の川崎をラップの街として注目させるなど、コンペディションにもメリットはある。こうした議論は、真の意味で日本にラップ文化が浸透するまでの間、ますます活発化していくだろう。

 本書は「ラップは黒人の魂の叫びだ」とか「MCバトルブームはヒップホップの底上げにならない」だとかいったステレオタイプな意見ではなく、ラップ・ミュージックの表も裏も明らかにしていく。それはラップ・ミュージックの中に多様性を見出しているということだ。本書に対して読者は十人十色の感想を持つだろうが、その「正解のなさ」こそがラップの魅力なのである。

文=石塚就一