政治家も大企業もウソばかり!! “一億総詐欺まがい社会”の生き抜き方とは?

社会

公開日:2017/5/24

『ウソつきの国』(勢古浩爾/ミシマ社)

 子どもに「ウソをついちゃいけません」と叱る親も、ウソをついた経験はあるだろう。ついつい口がすべった何気ないものから、きっちり墓場まで持っていくつもりの覚悟のウソまで、人はウソと無縁では生きられない。そしてそれが家庭やご近所レベルの、半径50メートルで収まることなら大きな問題はないのかもしれない。

 しかし、たとえば少し前の築地市場豊洲移転問題について行われた百条委員会。「百条委は虚偽の証言や、正当な理由なく証言や記録の提出を拒んだ場合に罰則規定がある」とのことだが、罰則がない通常の議会ではウソはつき放題なのか。あるいは森友学園問題の「書類は無い」。それで済むのか!? 海外に目を向ければ「post-truth」「alternative facts」って、「客観的な事実が重視されず、感情的な訴えが政治的に影響を与える状況」や「代替的な真実」らしいが、ウソが大手を振っているともとれるわけで…。

 そんな昨今ならば「ウソをついちゃいけない」なんて叱責こそウソくさく感じられ、むしろウソをつける時はついたほうがお得なのではないか、そんなモヤモヤにも包まれようというものだ。本書『ウソつきの国』(勢古浩爾/ミシマ社)はこんなウソまみれの社会で、「自分」はどうしたらいいのかを考える一冊。まずは身近なところに目をこらしてみよう。

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責任を取らないし、取れないのに言いたい放題

 たとえば、著者はサプリメントなどに添えられる「これは個人の感想です」という但し書きが卑怯という。効果を保証しない商品を安くない金額で売って平然としているとは、どういうことなのか? あるいはスマホ購入時に予め勝手についてくるアプリ。解約し忘れを狙っているとしか思えず、利用者の利益など全く無視している。

 これらは個人レベルで気をつければいいのかもしれないが、テレビはどうだろう。3.11の時に正確な現地の声を届けていただろうか。最近もブラック企業を叩いていたが、テレビ局自体が巨大ブラック企業ではないのか?

 政治家が失言した後、「不快にさせたなら申し訳ない」と発言するが、そもそも人間は一度起こしてしまった不祥事を「責任をもって償う」ことなどできない。起きてしまったことはないことにはできず、被害者は理不尽に耐えるほかない。それを踏まえて発言しているならともかく、上記のセリフは「私は本質的に間違ったことは言っていないが、不満がある人がいるなら残念だ」という謝罪とはかけはなれたものではないか。

 このように考えれば、私達は常日頃から想像以上に欺かれ、ウソをつかれ、またそれをよく忘れている。まずはその自覚を持って生活したほうがいいようだ。ではその上でどう振る舞えばいいのか? 本書はウソの数々を凝視することで、逆に自分なりの一貫した信念を持ち、欲得から距離をおいて生きる清々しさが浮きぼりになる仕組みだ。そしてそれは意外と「楽」なのではないかと思えてくる。まっとうに生きたいと願う人、必読の書。

文=青柳寧子