作家・誉田哲也が、椎名林檎に破られたミュージシャンの夢

ストロベリーナイト

2012/1/31

 子供の頃はマンガ家に憧れ、青春時代はプロのミュージシャンを目指していたという誉田哲也。30歳を機に小説家の道を選んだのも、やはり自分の内なる世界を表現する仕事をしたいという気持ちが強かったからだと言う。累計170万部を突破する「姫川玲子」シリーズや「ジウ」シリーズといった警察小説から、「武士道」シリーズ等の青春小説まで、多彩なエンターテインメントを次々と生み出す誉田にその創作の原点を訊いた。

 音楽に目覚めたのは、マンガ家の道を諦めた中学時代のことでした。英語の授業を受けて、少しずつ歌詞の意味がわかるようになってきたというのもあって、洋楽をよく聴くようになったんです。同級生にはバンドを組む連中も出てきて、ならば、僕もやってみようか、という気になったんです。このあたりの流れは『レイジ』(文藝春秋)に書いたのとほぼ同じ。ただ、ちょっと違うのは、自分からボーカリストに立候補したところかな。「バンドを組むなら、俺が歌ってやるよ」となぜか上から目線で(笑)。

 高校から大学にかけては、中・高・大一貫校で大学受験がないのをいいことに音楽とバイトに明け暮れていましたね。大学を卒業しても、家業を手伝いながら、音楽活動を続けていました。今思えば甘かったんですが、いい音楽を地道にやっていれば、白馬に乗ったプロデューサーがやって来て、僕たちをメジャーの舞台に引き上げてくれると信じていたんですよ。いや、本当に(笑)。

 僕の運命を変えることになった椎名林檎というアーティストを知ったのは、30歳が目前に迫っていた頃。彼女の曲で、最初に聴いたのは「歌舞伎町の女王」だったかな? その時は、この手の少しエキセントリックな系統の音楽をやる人かな、程度の認識だったけど、しばらくして「ここでキスして。」を耳にして、衝撃を受けたんです。曲調が全く違う。この人、どれだけバリエーションを持ってるんだろうと思って改めてアルバムを聴いて、打ちのめされました。

 ただ、そこまでは僕も努力してやってきたという自負はありましたが、彼女の持つアーティストとしてのキャラクター性が、僕には全然なかった。MCだとかビジュアルだとかミュージックシーンでの存在感にまで気を配るという発想がありませんでした。自然と「それにつけて俺はどうよ」と自分を見つめ直した末、達した結論が「プロミュージシャンの道はあきらめる」ってことだったんです。

(ダ・ヴィンチ3月号 「誉田哲也の描くヒロインが刺激的な理由」より)