『自分を好きになろう うつな私をごきげんに変えた7つのスイッチ』第1章試し読み

暮らし

更新日:2017/7/3





自分が大嫌いだった

2015年の9月。

私は38歳でした。
そして、好きな人に振られたばかりでした。

38歳という私の当時の年齢は決して若くはありません。だから、もう、真剣な恋愛はできないだろうと自分では思っていました。

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この頃の私は、仕事もぱっとせず、病気がちだし、いつも他人の成功を羨んでいました。同年代で活躍している作家さんの書いたものは嫉妬に狂いそうになるので読めませんでした。それでいて、「今さらイチから努力するのもめんどくさい」と、書くための時間をとることもしませんでした。自分には何もないと思っていたので、いつも自分の心がスカスカな感じがしていました。
努力は嫌だけど、寂しい気持ちを埋めたい私は、自分をちやほやしてくれる男性からの「賞賛」を利用しました。
不毛な「モテ」のためだけに男性とやりとりしたり会ったりしていました。
でも、そういうふうに「モテ」たあと、必ずむなしい気持ちになりました。
別に好きでもない男性にチヤホヤされても嬉しくないと、どこかで自分でわかっていたからだと思います。自分のつらさやさびしさを埋めてもらうために男性と会うのは、二人羽織で食事をするのとおなじようなもどかしさを感じました。心の傷やむなしさを的確に理解し、手をさしのべてくれる「孫の手」のような男性はいないのだろうか……。そんな都合のよいことを考えていました。

そんな私に、ものすごく好きになれる人が現れたのです。
でも、私は、その彼が、いつか絶対自分を裏切って去っていくだろうということを、根拠もなく信じていました。
それはたぶん、心の芯の部分で、自分が自分を大嫌いで、自分を信じていなかったからだと思います。
こんなにダメで、特に作家としての実績もなく、メンタルの病気もちで、38歳で、バツイチで、中年太りしはじめていて、しかもいつもネガティブで、家事が全然できなくて(以下100個ほど理由が続く)……、そんな私に、こんな素敵な人がそばに居てくれるわけがないと思っていました。

だから、あらかじめ傷つかないように、彼にまじめに向き合うことをしませんでした。
夏の終わりのある日、私からしたら些細なことがきっかけで、彼は激高し、会うのはそれっきりになってしまいました。
ある意味、自分が信じた通りの結果になったわけです。

そして私は本当にひとりになりました。

もう「ちやほや」されたいとも思わなくなりました。それよりも、本当に好きな人のことすら大事にできなかった私って、一体なんなんだろう? と、ひとりの部屋でじっと考えていました。このまま行くと、これからまた好きな人ができたとしても、おなじことを繰り返すような気がする。なぜこうなってしまうのだろうか。私が病気だからなのだろうか? いや、そうじゃない気がする。これは、病気という意味ではなく自分がどこか「おかしい」んだろう、そう思いました。

でも、どこが「おかしい」のかわからないし、どう変えたらいいのかわからない。でも、このままは嫌だ、どう変わったらいいのかわからないけど、変わりたい……。

>>家に帰ったら、ベッドへ直行。いつのまにか、ゴミ屋敷に…