700キロの大自然レースを完走した4人と1匹。人間と犬の絆が感動を呼ぶノンフィクション

社会

公開日:2017/7/4

『ジャングルの極限レースを走った犬 アーサー』(早川書房)

 2014年11月、世界中がエクアドルで行われていたアドベンチャーレースに注目していた。熾烈を極めるレースの行方は確かに魅力的だったが、その大会に限れば主役は優勝チームではなかった。スウェーデンのチーム「ピークパフォーマンス」に一匹の犬が途中から加わったのである。「アーサー」と名付けられたその野犬は、傷だらけの体でチームと共にレースを完走したのだった。

 あまりにもドラマティックなアーサーの物語を、チームのリーダー、ミカエル・リンドノードが一冊の本に綴った。『ジャングルの極限レースを走った犬 アーサー』(早川書房)は人間と犬の間に芽生えた奇跡的な出会いが感動を呼ぶノンフィクションである。

 アドベンチャーレースとは、過酷な大自然の中で行われる競争である。コースは何百キロにも及び、最低限の食事や睡眠をとりながら、世界中から集まった4人1組のチームがタイムを競い合う。コースには山や砂漠、急流までもが組み込まれ、自転車やボートなどの乗り物の使用も許可されている。ただし、整備されていない自然が相手なので、訓練した人間でもリタイアがあとを絶たない過酷な内容だ。ミカエルたちピークパフォーマンスが挑んだのは、エクアドルの山岳地帯で行われたハードなレースであり、勝利のためには約700キロを7日で完走することが求められていた。

advertisement

 元軍人のミカエルをはじめ、メンバーは熟練の体力自慢ばかりだが、それでも疲労や脱水症状に襲われる。地図を紛失するなどのトラブルもあり、5日間で5時間しか睡眠を確保できなかった状態でチームはジャングル地帯のTA(トランジットエリア=通過点)に辿り着いた。そして、ミカエルは一匹の野犬と出会う。野犬らしからぬ落ち着きに心を惹かれたミカエルは、気紛れから食料のミートボールを分け与えた。食事と休息を経てから出発すると、程なくしてミカエルは別チームから話しかけられる。

「おい、お前たち犬を連れてるのか?」

 さっきの犬がミカエルの後をついてきていたのだ。ミカエルはすぐに帰るだろうと思っていたが、道のりが険しくなっても引き返そうとしない。犬は血に汚れ、感染症にかかっている恐れがあった。まるで生き延びるための最後の手段を見つけたかのように、犬はミカエルの後を追い続ける。ミカエルたちも犬を仲間と認め、一緒にレースを走り抜ける決意をする。ミカエルがアーサーと名付けたのは、犬の物静かで威厳ある雰囲気がアーサー王を連想させたからだ。

 しかし、アーサーは王のように完璧な犬だったわけではない。ジャングルでミカエルたちを誤った方向に導いたり、お世話になった現地人の洗濯物を汚してしまったりと、盛大にやらかしてしまう。しかし、そんな失敗が余計にミカエルを虜にするのだ。

 途中、アーサーを乗せてカヌーを漕ぐことが無謀だと判断したミカエルは、泣く泣くアーサーを岸に置き去りにしようとする。今ならまだ、元の場所に引き返すことも不可能ではなかったからだ。しかし、アーサーは川の流れに飛び込み、ミカエルのカヌーを追う。溺れかけながらもミカエルから離れようとしないアーサーの姿は、涙なくして読めない名場面だ。

 チームとアーサーがどんなゴールを迎えるのかは是非ともご自分で読んでいただきたい。しかし、レースは終わってもミカエルの戦いは終わらない。アーサーに適切な治療を施してスウェーデンに連れ帰るための手続きが待ち受けていた。頑なな対応しかできないエクアドルやスウェーデンの政府を相手に、ミカエルはさまざまな人々の善意に支えられながら障害を乗り越えていく。その原動力にはミカエルとアーサーの強い絆がある。

 野生動物への敵愾心が強いエクアドルなどの国では、アーサーのような生活を送っている野犬が少なくない(アーサーの傷は高確率で人間によるものだった)。その後、ミカエルはアドベンチャーレースを続けながら、アーサーのような動物を救うための基金を設立した。9月にはアーサーとの生活を綴った新著も出版される予定だ。本書を読めば、世界から愛されるアーサーに、あなたも心奪われてしまうだろう。

文=石塚就一