39歳で認知症になっても毎日笑顔で生きられる理由――その時子どもたちは?

暮らし

公開日:2017/7/19

『丹野智文 笑顔で生きる』(丹野智文、奥野修司/文藝春秋)

 「認知症」という病気について、読者はどんなイメージを持っているだろうか。認知症の中にはこんな病気もある。「若年性アルツハイマー症」だ。文字通り、若くして認知症にかかってしまうことだ。『丹野智文 笑顔で生きる』(丹野智文、奥野修司/文藝春秋)に登場する丹野智文さんは、39歳にして若年性アルツハイマー症にかかってしまった。ネッツトヨタ仙台でトップ営業マンとして働いていた丹野さんが認知症になって、それからどのような人生を歩んでいるのか。本書の内容をちょっぴりご紹介したい。

■一緒に働くスタッフの顔を忘れてしまう

 丹野さんはネッツトヨタ仙台で働いていた。売り上げの額だけで比較するならば、全社で上位に入るトップ営業マンだった。しかしある日、異変が訪れる。物覚えが悪くなり始めたのだ。お客さんのマンションの部屋番号を忘れる。お客さんとの電話を終えて受話器を置いたら、何の要件で電話していたのかを忘れる。お客さんの顔を忘れる。こういったミスが増えはじめ、さらには一緒に働くスタッフの顔を忘れてしまうこともあった。さすがにおかしいと感じた丹野さんは病院に行った。そして……若年性アルツハイマー症と診断された。

 このとき丹野さんは人生に絶望したそうだ。それは当然のことかもしれない。認知症と聞いて私たちが想像するイメージは、まったく話の通じないお年寄りの姿、ひたすら喚いて暴れる老人たち、ベッドに寝たきりで介護を受けている様子だろう。認知症になってしまったら最後、人格を失い、周りに迷惑をかけ、いつかは寝たきりの生活を送る。私たちは認知症に対して、そういった「一部の真実」を「すべて」だと思い込んでいる。認知症に対して「偏見」を持っているのだ。丹野さんも自身の将来を想像し、絶望してしまった。今の仕事を失い、家族を養うことができなくなる。途方もない不安感が押し寄せ、ひたすら泣き続ける日々だった。

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■笑顔で生きられる理由

 しかし、丹野さんは現在、笑顔で生きている。若年性アルツハイマー症と診断されてから4年が経ったが、寝たきりになることなく仕事を続け、家族との関係も良好で、講演活動などもするようになった。なぜ丹野さんは絶望から立ち上がることができたのか。それは周りの支えと理解があったからだ。

 認知症と診断されてから、丹野さんは会社に病気のことを正直に伝えた。すると社長はこう言ってくれた。「長く働ける環境を作ってあげるから戻ってきなさい」。丹野さんは認知症と診断された後も、部署を異動して働くことができたのだ。職場のみんなに認知症のことを正直に伝えたことで、何かを忘れてしまったら隣の同僚に聞くことができる。職場の人たちも丹野さんの様子を常に気にしている。最大限、丹野さんをサポートしているようだ。仕事を続けることができたのは本当に大きかったと、丹野さんは本書で語っている。

 家族たちはどうだろうか。丹野さんの妻は、医者から病気の診断を聞かされたとき、静かに涙を流していたという。絶望に打ちひしがれ、家族関係がギクシャクしてしまいそうだが……丹野さんの家族は違った。子どもたちが丹野さんの異変に気づき、「パパ、死ぬの?」と妻に聞くことがあった。そこで丹野さんは子どもたちにも認知症のことを正直に打ち明けた。すると子どもたちは「みんなで助けないとね」と言ってくれた。高校生になった現在、子どもたちには反抗期が訪れているという。しかし丹野さんはこれが嬉しいらしい。普通の家庭の子どもに訪れる現象が、丹野さんを特別視していない証として感じられるからだそうだ。

 丹野さんの妻に至っては、本書を読む限り、かなり肝がすわっていそうだ。丹野さんが飛行機のチケットの予約をミスしても「お金、損したわね」と笑う。買い物に出かけ、道を忘れて、最終的にタクシーで帰ってくることになっても、妻は丹野さんの外出を止めることがないそうだ。「(最終的に)家に帰ってくるならいいさ」と妻はいう。

 個人的にグッときたエピソードがある。丹野さんが高校時代の部活の友人と集まったときの話だ。「アルツハイマーになっちゃってさ」と打ち明けても、いつもと変わらない雰囲気で接してくれる友人たちの優しさに救われた丹野さん。「次会うとき、みんなの顔を忘れていたらごめんね」と冗談交じりに言うと、「大丈夫だよ、お前が忘れても俺たちが覚えている」「忘れないように定期的に会おうよ」と言ってくれた。素敵な話だ。たとえ忘れても忘れられても友達の関係でいる。これが本当の友情かもしれない。

■できることを尊重し、理解し、支え合う

 私たちは認知症という病気を本当に理解できているのだろうか。確かに認知症は恐ろしい病気だ。しかし早期発見できた場合、たいていは「普通の人より物覚えが悪い状態」に過ぎない。それ以外は何も変わらない人間なのだ。体が動けば、心もある。認知症と診断された日から、性格が劇的に変わり、会話ができなくなり、寝たきりで介護を必要とするわけではない。彼らには、まだできることが残されている。

 丹野さんの周りには良き理解者がたくさんいた。仕事をサポートしてくれる職場の人たち。どんな些細なミスも怒るどころか笑ってくれる家族。会う度に心配してくれる友人。本記事では紹介できなかった「家族の会」の方々。彼らは皆、丹野さんのできることを尊重し、理解し、支えている。そのおかげで、認知症と診断されてから4年が過ぎた今でも、丹野さんは笑顔でいられる。

 そしてこれは健常者である私たちにも結び付けられる生き方だと思う。私たちは「毎日笑顔で生きたい」と願いがちだが、それはきっと違う。どんなに不安でも毎日笑顔で生きる努力をすることこそが、毎日笑顔で生きられる秘訣ではないか。周りの人々を理解し、支え合い、どんなに不安でも一生懸命笑顔で生きることで、笑顔になれる毎日が訪れるのではないだろうか。

文=いのうえゆきひろ