「フリースタイルダンジョン」「高校生RAP選手権」でおなじみのラッパーによるMCバトル史の道標!

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更新日:2017/8/14

『MCバトル史から読み解く 日本語ラップ入門』(KADOKAWA)

 MCバトルとはフリースタイル(即興)によってラッパー同士がラップの技術を競い合う行為である。現在、CMやバラエティーでも取り上げられているMCバトルだが、ブームの火付け役の一つが『フリースタイルダンジョン』である。MCバトル界で名前を轟かせるモンスターを5人抜きし、100万円を目指す人気テレビ番組だ。中でも先日放送された、チャレンジャー・晋平太とモンスター・漢 a.k.a. GAMIの対戦は、大反響を呼び起こした。少なからぬ因縁を抱えた二人のバトルは白熱、特に番組内で好不調の波が大きかった漢は嘘のような圧巻のパフォーマンスを見せつけたのである。漢は2002年、当時最大のMCバトルの大会B BOY PARKで優勝を果たしているベテランだが、「全盛期を超えていた」と評価する声も少なくない。

 どうして漢はその実力を番組で持て余し続けていたのだろう。漢の盟友でもあるラッパー・DARTHREIDER(ダースレイダー)が、視聴者の疑問に答えてくれる。MCバトルブームを総括する著作『MCバトル史から読み解く 日本語ラップ入門』(KADOKAWA)は、日本におけるMCバトルの成り立ちから発展、そして現在にいたるまでをまとめた一冊である。MCバトルブームを遠目に見て、「日本人がラップなんて」と斜に構えている人にこそ、日本語ラップの深淵をのぞいてみてほしい。

 漢の不振には、「MCバトルの競技化」が大きく関係していると著者は分析する。MCバトルとは本来、ラッパーがステージの上で人生をかけた存在証明をぶつけ合う場であり、漢のようなベテランのリアルMCには、そうした価値観が色濃く残っている。そのため、知らない相手と対戦してもその場限りの適当な言葉を吐けない。一方で、若いMCには「ステージとリアルは別」という感覚が蔓延している。日本語ラップの先駆者の一人としてリスペクトを送るべき漢に対しても、バトルともなれば平気で「殺す」「カス」といったディス(ディスペクトの略。言葉による攻撃)をぶつけ、逆に漢を戸惑わせてしまう。しかし、対戦相手が既知のラッパーで、友情や因縁があるときに漢は凄まじいパワーを発揮する。「ダンジョン」の晋平太戦はその好例だったのだ。

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 リアルな魂のぶつかり合いだったMCバトルが競技化していくまでの過程を、著者は自身の半生とともに振り返っていく。MCバトルが日本で初めて大きく取り上げられたのは、1999年、年に一度のヒップホップの祭典B BOY PARKだった。以後、毎年BBP内でMCバトルトーナメントが開催されるようになる。試行錯誤の連続だった初期BBPで、1999年から2001年にかけて大会三連覇を達成し、伝説となったラッパーがいる。現在も第一線で活躍するラッパー・KREVAだ。仕込みなしの完全即興と分かりやすい押韻スタイルが圧倒的な支持を得て、以降、KREVAスタイルがMCバトル界の主流となっていく。

 BBPが生み出したMCバトルの系譜は、2005年に第一回が開催されたULTIMATE MC BATTLEへと受け継がれる。数々の名勝負が、生で現場を見てきた著者の視点から解説されるのが興味深い。やがて、晋平太やR-指定がUMBを連覇し、現代MCバトルの新たな顔となっていく。次々と主役が入れ替わっていくMCバトル史のめまぐるしさに、読者はワクワク感を禁じえないだろう。

 しかし、MCバトルが盛り上がるがあまり、音楽としてのラップとの乖離が始まる。たとえば、近年の大会で顕著な、観客が「延長」を過剰に求めすぎる傾向だ。バトルが競技化し、現場から緊張感が失われたために観客の「もっとラップを観たい」という欲望がまかり通るようになってしまったのだ。

 現在、ラップに象徴されるヒップホップ文化は誤解や弊害を受けている最中でもある。そんな中、著者は多くのメディアに登場し、ヒップホップと世間をつなぐ橋渡しを買って出ている。特に近年、内臓機能が低下し、生命の危険にさらされるようになってからはその傾向が強くなっているのではないか。本書はヒップホップがブームで消費されないための道標であり、著者のヒップホップ愛の結晶である。バトルで「ヒップホップに幸あれ」という名ラインを残した著者の思いに、ぜひとも触れてみてほしい。

文=石塚就一