「理系の幸福論」――人間はロボットよりも幸せか?

ライフスタイル

2017/8/1

『人間はロボットよりも幸せか?』(前野隆司・保江邦夫/マキノ出版)

 幸福論と言えば、通常は哲学や心理学の分野で語られるものだ。そんないわば文系の領域だとされてきた幸福論を、理系の科学者が論じたらどのような結論が導き出されるのだろうか? そんな疑問に応えるように、理論物理学者と機械工学者が幸福を論じたのが『人間はロボットよりも幸せか?』(前野隆司・保江邦夫/マキノ出版)である。

 ロボットの完成度を高めるうえで、重要視されるのは「いかにロボットを人間に近づけるか」という課題だ。だが、これは繊細な動きという意味ではすでに多くの面でクリアされている。技術的に言えば、やさしく抱きしめてくれるロボットを作ることも、笑うロボットを作ることも今や可能だ。だが、ロボットのそういった行為に人間のような温かい感情や思いやりがあるかと言えば、それはない。なぜなら、ロボットはあまねくそうするように作られたプログラムに沿って動いているに過ぎないからだ。

 本書の著者の1人・前野隆司氏は「ロボットに心を持たせることはできないか」と考え、そのためにはどのような条件を備えたら「ロボットに心がある」と言えるのかという定義が必要であり、突き詰めれば人間的なものとロボット的なものの違いはどこにあるのかということを考える必要に迫られた。これに伴い、前野氏は「心とは何か」という根源的な問いの答えを求めて、心を扱う脳科学の研究に注力するようになった。

 だが、この研究は、前野氏自身も予想外なことに「ロボットに人間と同じ心を持たせる方法」ではなく「人間もロボットと同じように心などない」という結論に至ったそうだ。ロボットがプログラムに沿ってのみ動くように、我々人間もまた無意識というものに突き動かされて動いているに過ぎないというのだ。我々が「これが自分だ」と思っているものは幻想に過ぎず、人間は自由意志すら持たないただ無意識(ロボットで言うところのプログラム)に支配されている存在だという。

 こういった「自由意志は幻想だ」とする仮説は“受動意識仮説”と呼ばれる。この仮説は、我々の行動は脳の無意識によって決定されており、人間が自由意志だと思っている意識の部分はその無意識を受け取って「自分が決めた」という記憶を作るためにだけあるとするものだ。この「自由意志がない」とする説に対しての人の反応は大きく「むなしい」とするものと「安心する」というものに分かれる。あなたはどうだろう? 人間には自由意志などなく、すべては無意識による反射に過ぎなくて「嬉しかった」「悲しかった」などの感情はどれも後付けのものだったとしたら――。

 この仮説は、確固たる“自分”を信じて来た人にとってはとてもむなしく、恐ろしい話かもしれないし、ずっと“自分”とは何なのかを考え迷い続けて来た人にとってはある種の安心をもたらしてくれるものかもしれない。もしかしたら「そんなことは考えたくもない」と目を背けたくなる人も居るかもしれない。

 ただ、自分に自由意志がないかもしれないことをどう思うかはその人次第だが、少なくとも自由意志の有無に関する思考の自由まで放棄してしまうのはあまりにもったいないのではないだろうか。自分の支配者は“自分”かそれとも“無意識”か――いまだ答えの出ない問いだが、答えが出ないからこそどこまでも突き詰められるという点で、案外おもしろい問いかもしれない。

 幸せの定義というのはとても難しい。なぜなら、何を幸せと思うかは個人によっても違うし国や文化によっても違うからだ。たとえば日本人の場合「平穏無事が幸せ」という価値観が受け入れられやすいが、西洋だと「大きな喜びがあること」が幸せと捉えられやすい。言い換えれば、前者は良くも悪くも平坦な日々を幸せとし、後者は大きな良いことが起こることを幸せとしているわけだ。他にも、眠ることだけが幸せだという人も居れば、何も持たないことが幸せだという人も居る。これは裏を返せば、何を幸せだと思うかはその人次第であり、その人が幸せになるにはまず「自分にとっての幸せの定義」を見つけなければならないということだ。自分にとっての幸せとは何か? 様々な幸せについて語っている本書が、その問いの答えを見つける一助になれば幸いである。

文=柚兎