「社員でなければ…」という企業は「社外の人」を信用してないのか?

ビジネス

公開日:2017/8/15


 ある社会人大学院の教授の方からうかがったことですが、受講している社会人学生のうち、勤務先の会社からの派遣や、会社に受講していることを知らせている人は実は意外に少なく、7割くらいが会社には内緒で受講しているのだそうです。

 こういう勉強は広い意味での社会人能力向上にあたると思いますが、これを会社に伝えても「否定まではされないがいい顔をされない」「そんな余裕があるならもっと仕事をしろと言われる」「いろいろ説明を求められるのが面倒」など、会社からは自社に直接的な見返りがないことに社員が取り組んでいるのを、快く思わない反応が多いようです。

 副業やパラレルワークを認める会社が増えてきてはいるものの、未だに多く会社では、社員の活動で特に仕事にかかわることは、自社だけのことに閉じ込めておきたいと考えているようです。

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 これは、私たちのような社外専門家に対する姿勢でも、似たようなことがあります。活用される場面が多かったり、活用の仕方もとても上手かったりする企業がある一方、そういうことが上手くない、もしくはあまり好まない企業があります。

 社外人材やフリーランスの活用が言われている昨今ですが、今のところは後者の企業の比率が多いと思います。

 そういう会社では、よく「社員でなければ任せられない」「社員でなければ信用できない」といわれます。一見すれば正論のようですが、では逆に「社員だから任せられる」「社員だから信用できる」がすべてにおいて当てはまるかといえば、決してそうではありません。

 例えば最近よく聞く「企業の不正会計」では、一部の役員や社員が自社内の閉じた環境の中で問題を起こしており、どちらかといえば社外など第三者のチェックが働かなかったことの方が問題でした。

 内製の仕事の質が常に高いかといえばそうとは言い切れず、ノウハウ不足や人員不足でかえってうまくいかないことがあります。また、仮に内製の仕事よりも社外発注の方に問題発生が多いのだとしても、発注先業者に何かあったらそれは相手先だけの問題ではなく、発注元のマネジメントにも必ず問題はあります。社員同士の内輪の方が、何かあった時に言いやすい程度の気分の問題です。

 さらに「社員でなければ……」とこだわる企業は、よく「いつもいてくれないと困る」といいます。いつ何が起こるかわからないし、常に身近にいてくれないと何かと困るし不便だということですが、それは結局、誰が何をどこまでやるのかという「仕事の切り分け」ができていない、また、やるべきこととそうでないことの「仕事の割り切り」ができていないということです。あいまいな仕事環境による非効率が必ずあります。

 このように、社員だからよくて社外だからダメだと一概には言えません。

 自社の仕事に専念しないことを快く思わない傾向はなかなか変わりませんが、本当に専業でなければ自社の仕事の生産性が落ちるのか、秘密保持や競業を避けるために必要なことなのか、私はどうもほとんどが嫉妬に近い感情的なもので、そこに縛りをかけることにそれほど意味があるとは思えません。

 生産性の話で言えば、それは副業でなくても、趣味の活動でも資産運用でもプライベートな問題でも、何かしらかかわる可能性はありますし、本業に差し障るほど副業が成功したのであれば、その人にはそれほどの経営センスがあったとも言えます。

 機密や競業の問題も、専業であろうと兼業であろうと企む人は企むし、そうでない人は仕事のしかたに関わらずそんなことは考えません。そもそもこれだけ転職が一般化した中では、そちらの方がよほど問題になる可能性があるでしょう。

 「自社のことだけ」と社員を囲い込む会社にあるのは、終身雇用の感覚で固まっていることによる感情的なことしかなく、「社員であること」へのこだわりは、仕事上の時間の浪費や非効率につながっていることがあります。そこにメリットと言えるものはありません。

 企業と社員の関係は、かつてのような絶対服従の村社会ではもう通用しません。業種を問わない「水平連携」や社内外にとらわれない「オープンリソース」をどんどん進めていかなければ生き残れない時代です。

 これから先は、社員との間にオープンな関係を作り出せる会社でなければ、厳しい環境に陥っていくだろうと思います。

文=citrus ユニティ・サポート 小笠原隆夫