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2018/7/12

スモール・プラネット【第一話】惑星

「北地(きたじ)さん、今日もお疲れ様でした」

「お疲れさんだったなあ、水橋(みずはし)」

 お互いのねぎらいに続いて、グラスを打ち合わせる、いい音が響いた。

 ――ちょっと、いい音すぎるな。

 と、北地は思う。

 週に何度も誰かと乾杯していると、グラスの差し出し方ひとつで、なんとなく相手の気分がわかるときがある。とりわけ今日は、長丁場の会議のあとで、後輩がやけに力を込めてグラスを突き出すのだから、

 ――納得いきません。

 口に出して言われているようなものだ。

 しかしまずは知らぬ顔で、雑談混じりに、お互い定番の料理を注文した。それから、さきづけに箸を運びつつ、相手の気分がほぐれるのを待ってやった。

写真提供=Getty Image

 ――ここでひねくれさせちゃ勿体ない。

 そう思いつつ、

 ――とはいえ、あんまり甘やかしちゃいかんな。

 その塩梅が、なかなか難しい。

「指導係としては、大事な局面だぞ」

「――え?」

 水橋が、素っ頓狂な声を上げた。

「せめて、肩の力を抜いて飲めるようにしてやらんとな」

 北地は腕組みし、さきづけのタコの煮付けを見つめてそう呟いた。

「はあ……」

「どうやらよっぽど納得いかんらしいからな」

「それは……。だって、うちの課じゃイチオシの企画ですよ。絶対いけるのに。それをあんな風に……。挙げ句の果てに勝手な進行プランまで出してくるなんて。いい迷惑ですよ」

「どんなに小さな星の上でも、いつだって宇宙は自分を中心に回っているように見えるもんだ」

 北地は、隣で喋る誰かの声をまったく耳に入れず、思いつくがまま口にした。

 水橋がぽかんとなり、

「うちゅう」

 難解な言葉を口にする小学生のように、繰り返した。

「自分がいる小さな星が中心だと思い込むせいで、星々の動きが理解できなかった人間が、惑星なんて言葉を作ったんだ。人を惑わせる星って」

 水橋が黙った。眉間に皺を刻んでいるのは、何とかして北地の言葉を理解しようとしているからだろう。あるいは、北地が見えない誰かと会話をしている可能性についても、考えているのかもしれない。

 北地は、今なおさきづけの皿に目を向けたまま、おもむろに胸ポケットから加熱式タバコを取り出した。

 それを見た水橋が、鞄からケースを取り、同じ品を出して口につけた。

 二人とも、ゆったりとひと吸いした。

「惑星」

 水橋が、ぽつっと呟いた。

「うん?」

 北地は、ふと我に返って顔を上げ、いつの間にか相手が笑顔になっているのを見て面食らった。

「そっか。視点を変えろってことですよね。勝手なプランを出されて腹立ちましたけど、それで進めてみるのも確かに悪くないかもって思えました。というより、なんで自分で思いつかなかったんだろう。そのときの自分の考えにばっかりとらわれてたんですかね」

「どうしたんだ、急に」

「おかげさまですっきりしました」

「あ……そう? そりゃよかった」

「はい」

「じゃ、飲むか」

「飲みましょう」

 再びグラスを打ち合わせた。

 さきほどよりも、ずっと落ち着いた、いい音がした。

 

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冲方丁(うぶかた・とう)●1977年、岐阜県生まれ。96年『黒い季節』でスニーカー大賞金賞を受賞してデビュー。作家活動の傍ら、ゲーム、マンガ、アニメの分野でも活躍。2003年『マルドゥック・スクランブル』で日本SF大賞、10年『天地明察』で吉川英治文学新人賞、本屋大賞など5賞を、12年『光圀伝』で山田風太郎賞を受賞。最近の著書に『はなとゆめ』『冲方丁のこち留 こちら渋谷警察署留置場』『十二人の死にたい子どもたち』などがある。