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2018/10/11

『阿修羅のいる風景』#1 まひろ 

 編集部は北向きで、窓は積み上げた雑誌の山で半分ふさがれ、いつも黄昏時のような感じがする。おまけに今年は例年より梅雨が長いようで、窓から見えるのはどんよりした曇り空だ。

 それにしても、どうしてこの編集部は、お祭り屋台の焼きそばの匂いがするのだろう、と不思議に思っていると、目の前の中年男性が上目遣いであたしを見た。

 イヤな予感しかないシチュエーションだけど、あたしは避けることができない。フリーの身としては、公共機関がバックについている雑誌からの依頼は大切な飯の種だ。

 忙しく扇子をあおいでいる編集長は、額の汗を拭くとおもむろに口を開く。

「というわけで、まひろちゃん、いつも頼んでいるこのコラム、今回は三回分を三週間で仕上げてくれないかなあ」

 いきなりそんな風に切り出されて、何が“というわけで”なのか、さっぱりわけがわからないままに、あたしは言い返す。

「編集長の無計画さと人使いの荒さにはいつも呆れますけど、今回は特に酷いです。コラム連載『その人を偲ぶ』は、亡くなった伴侶の思い出の品について語ってもらう企画ですから、インタビュー相手は普通一人ですよね。それがどうして今回は三人なんですか?」

「三人のうち、一人を選んだら角が立つからだよ」

「そんな面倒くさい人は止めて、他の人を選べばいいのに」

「そういうわけにいかないんだ。三人のうちの一人にうっかり内諾をもらっちゃったら別の一人にねじこまれてね。で、その人のOKをもらおうとしたら、それならあの方もインタビューしないとフェアじゃないとか言われてさ」

 ため息をつく。行き当たりばったりのやり方の後始末をさせられるのは、いつもあたしだ。

「でもそれって所謂不倫ってヤツでしょう? この連載はお堅い企業がスポンサーだから制約が多くて、特に不倫はダメとキツく言われているのに、なぜその人の企画が通ったんですか?」

「不倫ではなく三人の女性と均等におつきあいしていた、恋愛自由人だからさ。加えてその人はスポンサーのお気に入りでね。それならいっそ特別企画に格上げして、つじつまを合わせてしまえ、と思いついたんだ。そんな規格外の仕事には、シーザーの追っかけにしてわが雑誌のエース、まひろちゃんを投入するしかないだろ」

 見え透いたお世辞にほわほわ喜ぶほど、あたしはウブじゃない。あたしがローマ帝国の英雄シーザー特集で大成功を博したのは、ここに来て半年経った頃だから、もう五年も前だ。編集長はその時からあたしのことを時々シーサーと呼んだりする。でもそれは沖縄の狛犬だ。

 まったく、親父ギャグってヤツは……。

 あたしは話を戻した。

「今回は大物なんですね。誰ですか、今回のターゲットは?」

「医師で作家の、緋文字隼人(ひもんじはやと)先生だよ」

 なるほど、と合点がいった。女性遍歴を重ねた粋人。艶聞には事欠かない。

 半年ほど前にお亡くなりになった時は、新聞でも大きく追悼記事が出ていた。

 なるほど、それならごり押しされるのもわかる。中年になって作家デビューした後、複数の女性と浮き名を流し、その中には女優や歌手もいたけれど、世の中の変化を察知したらしく熟年離婚を決断して、その後は独身の身を謳歌しつつ、元奥さまとも同居し続けたという日本のドンファン。確かにこれなら不倫はダメという縛りも関係ないし、緋文字先生があの企業の会長のお気に入りだという噂もあったから、選ばれた理由もわかる。伴侶が偲ぶのだから普通は一回だけど、三回連載という破格の待遇も納得できる。

 これは逃げられそうにないな、と潔く諦めた。そんなあたしの気持ちの変化を素早く察知したのか、編集長はおだて口調で言う。

「よ、さすが割り切りのまひろちゃん、気っ風がいいねえ。というわけでよろしく頼むよ」

 今回は、“というわけで”という接頭語は正しく使われていた。

 編集長は、三人のインタビュー相手の資料を手渡すと、軽い調子で付け加えた。

「ひとつ言い忘れていたけど、この三人からインタビューの許可をもらう時、三人に同じことを言われたんだ。だからその条件はクリアしてほしいんだよ」

 え? あたしは思わず聞き返す。経験上、後出しされる条件にろくなものはない。

 イヤな予感を咀嚼する間もなく、編集長はとんでもない話を丸呑みさせるべく早口になる。

「三人とも、自分が一番、先生に愛されていたとわかるように書いてほしいって言うんだ」

 こら、何てことを。いきなりハードルをめいっぱい高くするような条件をさりげなく提示され(まあ、ちっともさりげなく、ではないけど)、あたしはあわてふためく。

「そんなの無茶ですよ。三人いるのにみんなを一等にするのは無理だなんて、小学生だってわかるでしょ。そもそも連載の順番で誰が一番重要かなんて、一発でわかっちゃいますし」

「ま、それはそうなんだろうけどさ。そこはほら、まひろちゃんがうまくやって頂戴よ」

 小学生以下、つまり幼稚園児並みの編集長は、そんな風にあっさり丸投げすると、ぱたぱたと扇子をあおぎながら、そそくさと姿を消した。あたしは呆然とヤツの後ろ姿を見送るしかない。

 茫然自失としていたあたしは何とか気を取り直すと、受け取った資料をぱらぱらめくりながらまずはざっくりスケジュールを立てようと考える。

 実はこの仕事には少々因縁がある。あたしはかつて緋文字先生をインタビューしたことがあり、その時に軽くくどかれたのをきっぱり断った。それくらいで気を悪くされる先生ではないけど、同行した編集者にこっぴどく叱られて以後、その版元では使われなくなってしまった。

 つまり五年前のあたしは、緋文字先生のせいで食い扶持をひとつ失ったわけだ。でもそれは緋文字先生の罪ではない。それを機に、あたしは以前の職場を辞め、今の雑誌に潜り込んだから、今あたしがここにいるのは緋文字先生のおかげといえなくもない。

 こうなったら、こんな仕事はちゃちゃっと手際よくやっつけるに限る。どうせやるなら、天下の粋人のご乱行ぶりを覗き見してやるか、と気持ちを切り替えた。

 あたしは携帯を取り出すと、記載された連絡先の番号をプッシュし始めた。

 

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海堂尊(かいどう・たける)1961年、千葉県生まれ。外科医、病理医を経て、現在は放射線医学総合研究所・放射線医学病院研究協力員。『チーム・バチスタの栄光』で第4回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞し、2006年に作家デビュー。08年『死因不明社会』で科学ジャーナリスト賞受賞。著書の多くは、架空都市「桜宮市」を中心としたクロスオーバーな世界観(桜宮サーガ)の中で展開している。近著に『ポーラースター ゲバラ覚醒』『ゲバラ漂流 ポーラースター』『玉村警部補の巡礼』『死因不明社会2018』など。