糸井重里 震災の後に紡いだことばの新刊&既刊ベスト版を2冊同時刊行

文芸・カルチャー

2012/6/21

何をどう言ったらいいんだろう。2011年は誰もがそんな切実さでことばと向き合った年だったかもしれない。糸井重里が「ほぼ日刊イトイ新聞」のトップページに書いた1年分の原稿と1年分のツイートから心に残ることばを再編集して本にした〈小さいことば〉シリーズ最新刊『夜は、待っている。』(東京糸井重里事務所)にも、あの年の息遣いが刻まれている。

「あの時、自分たちも揺れを感じたということは、すごく大事でしたね。自分たちは東京にいたけれど、震源地が違ったら同じことになっていたわけで、さあ、どう考えればいいんでしょうねと。どんな中にいても優しい人はいるし、どんな中にいても勇気のある人はいるし、『夜と霧』だよね。だから、それぞれの場所で自分たちの人間理解が問われた。それには想像するしかない。僕は、被災地で冗談を言ってる人を想像したんですよ。みんなが酷い目にあったあの場所で、くだらないこと言って笑わせてやろうってヤツも絶対にいるはずで、ユーモアの直前にあるしょうもない哀しみを思った」

もしかしたらその人は真っ先に不謹慎だと叩かれてしまったかもしれない。
「ないことにされちゃう気持ちって、その延長線上に、ないことにされちゃう人っていうのがいるからね。だけど、うまく語れない気持ちがないことにされちゃうんだとしたら、それしか持ってない人はどうするんだって。赤ん坊もそうだし、死者もそうだし、四捨五入ができるほど人の沈黙の分量って少なくないからね。語らない人たちの沈黙に耳が向くかどうかで、その人の行動とか考え方の豊かさって変わってきますよね」。
毎日更新してきたコラム「今日のダーリン」も、それまでは1時間~1時間半で書いてきたのに、震災後は3時間4時間かかることがずっと続いたという。糸井さんもことばと格闘していたのだ。

夜は、待っている。』と同時に刊行された、〈小さいことば〉シリーズ初の文庫『ボールのようなことば。』は既刊のベスト盤的な1冊。
〈なくそうとしてもなくそうとしても消えないもの。そういうものに、敵と名をつけることはやめてくれ。そういうものらは、敵と名付けるべきものではない。/それらは、ぼくとか、きみとか、そういう名前で呼ばれるものであるはずだ。〉。
糸井重里のことばは、いつだって、そんなふうになかったことにされちゃいそうな沈黙に向かって語りかけてくるのである。

取材・文=瀧 晴巳
(ダ・ヴィンチ7月号「『夜は、待っている。』『ボールのようなことば。』 糸井重里」より)