キャプテンコラム第8回 「ITユーザー(あなた)は電子書籍の行間を読むか?〈その②〉」
更新日:2011/10/17
ダ・ヴィン電子ナビ キャプテン:横里 隆 advertisement |
前回は、「行間を読むということは、自分自身の内面と向き合うこと」という話をしました。
|
||
では、果たしてこれから広がっていく電子書籍のユーザーたちは、電子の文章の行間を紙の本と同じように読むのでしょうか?
もちろん同じ小説であれば、紙の本であっても電子の本であっても内容は変わりません。電子書籍であろうと読めば感情移入もしますし、自分と向き合うこともあるでしょう。当然ながら電子書籍でも行間を読むことはできるのです。 ところが、電子書籍のデバイスが多機能&高機能であるがゆえに、だんだんと紙の本とは異なる読まれ方も生まれてくると思います。 そのひとつが「ソーシャルリーディング」と言われるものです。 ソーシャルリ-ディングとは、ネットワークで結ばれた不特定多数のユーザーたちが読書体験を共有しながら行っていくというもの。 具体的なサービスの一例をあげますと、太田出版がこの春スタートした、「コミック・読み物にコメント投稿できるウェブ連載空間『ぽこぽこ』」があります。このサービスは、電子書籍上のおもしろいと感じた箇所(コマor文章)にマンガの吹き出しのような形でユーザーコメントが次々に表示されていくというものです。現在はコミックのみのサービスで、活字の読み物でのサービスは準備中になっていますが、小説などでもサービスがスタートして活性化すれば、新しい読書の可能性を示す意欲的なサービスになることでしょう。 他にも、ソーシャルリーディングのための新機能を持ったさまざまなサービスが生まれてきていますし、ぼくたちのこのサイトでも、ゆくゆくはそうしたサービスをスタートして行きたいと考えています。 従来の読書がひとりで行うもので、かつ、自己の内へ内へと深く沈みこんで行くものであったのに対し、ソーシャルリーディングはネットワークを活用して外へ外へと広がっていくものです。 それは、自己の内面を掘り下げていく「点のスパイラル運動」から、外の世界へ広がっていく「拡散のアミノメ運動」への変化とも言えるでしょう。 やがて電子書籍のユーザーたちは、自分の内面とだけ向き合う読み方よりも、外の世界と繋がっていく読み方に、より価値を見出していくかもしれません。 内から外へ、ベクトルの180度転換であり、読書という行為の劇的な変化です。 そしてそれは、読書体験が「行間を読む」ことから「行外を読む」ことへ大きく変化することとも言えるのです。 「読み方」と同様に「書き方」も変化していくでしょう。 何年も前にブームになったケータイ小説の例をみるとわかりやすいと思います。 従来の小説家(特に純文学の作家)の多くは、自分の心の内にあるコンプレックスや痛みや葛藤と向き合い、それを突き詰めていって小説表現に昇華していました。執筆中は原稿用紙に向き合っているようで、実は自分自身の心の暗闇と向き合っていたのです。ゆえに書くことは悶え苦しむことと同義でした。 ところが、ケータイ小説を書く人々の向き合い方は大きく異なるものでした。 ケータイ小説は、とにかくまず書いてみて発信するところから始まります。すると多くの読者たちが感想やら要望やら否定的意見などを返してきてくれます。作者はそれらを受けてストーリーのつづきを書いていきます。そのとき作者は、己の内面と向き合っているのではなく、不特定多数の他者(読者)と向き合い、彼らとコミュニケートしながら物語を作っているのです。 そのようにケータイ小説の多くは、作者がひとりで作り出すものではなく、作者と読者の共同作業で物語を編んでいくものだったのです。そのような小説の書き方は、「ソーシャルライティング」と言ってもいいかもしれません。 かように、すべては外へと向かっています。外へつながって拡散し、またフィードバックされて循環していくのです。 クラウドコンピューターの仕組みがそうであるように、やがて人間の思考も脳も、外に置かれるようになっていくのでしょうか。 先日、ある検索サイトの方から、最近の若いネットユーザーたちは「検索」という機能すらあまり使わなくなってきたとうかがいました。検索よりも手っ取り早い「Q&Aサービス」を利用して答えを聞いてしまうのだと。 今や、答えは「外」の不特定多数に求めた方が容易で、かつ、正確な答えが見つかるのです。 幾度となく訪れてきた「自分探しブーム」の結論も、「答えはあなたの中にある」が定番でしたが、これからは、「答えはあなたの外にある」となるのでしょうか。 そうなると、自問自答を繰り返すような深い思考はあまりされなくなっていきます。ぼくが何か困ったことにぶつかったとき、「こんなときはどうしたらいい?」とネット上にUPすれば、ぼくの代わりに考えてくれた意見や、その人が経験から学んだアドバイスがいくつも軽やかに返ってくることでしょう。 それはとてもありがたくて便利なことではありますが、ぼくの経験にはならないのです。 小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』で、作りもののレプリカントたちがどうしても手に入れられなかったのは、人間のもつ感情移入という機能でした。そしてその感情移入を可能にしているのは、ぼくたちの人生におけるかずかずの失敗と成功の経験でした。それがぼくたちを人間たらしめているものであり、読書の際に「行間を読む」ことの悦びをもたらしてくれるものでした。 経験が皆で共有され、ぼくたちの内に担保されない時代、すなわち「行外を読む」時代の中で、新たにぼくたちの感情移入の拠り所となるものは何なのでしょうか? また、あらゆるものが外に置かれ、共有されるようになったとき、それでもぼくたちの、心と身体の内に残るものはいったい何なのでしょうか? せめてその答えくらいは外に求めずに、しばし、ぼくの内で悶々と考えつづけて、楽しんでみたいと思うのです。 (第9回につづく) ***************************************************** ※キャプテンコラムは基本、毎週月曜日の12:00に更新します。次回、キャプテンコラム第9回は8月8日(月)の12:00にアップする予定です。よろしければぜひまたお越しください。今回もまた、つたない文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。どうかあなたが、日々あたたかな気持ちで過ごされますよう。 よこさと・たかし●1965年愛知県豊川市生まれ。信州大学卒。1988年リクルート入社。94年のダ・ヴィンチ創刊からひたすらダ・ヴィンチ一筋! 2011年3月末で本誌編集長をバトンタッチし、電子部のキャプテンに。いざ、新たな航海へ!
■第1回 「やさしい時代に生まれて〈その①〉」 |
||