「話せばわかる」という固定観念はもはや捨てるべきか?

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公開日:2021/5/24

「話せばわかる」という固定観念はもはや捨てるべきか?

 対人トラブルなどでよく耳にする「話せばわかる」というワード。しかしいくら言葉を尽くしても、すれ違ってしまうことは少なくありません。「話し合い」が上手くいかない原因はどのようなところにあるのでしょうか。

同じ日本語でも違う言語?

 以前、漫画家の山本貴嗣さんは、Twitter上で「話せばわかる」という言葉に対する持論を展開。「話せばわかる、というのは、人生のかなり初期の内に手放した方がいい幻想だと思う」「自分と他人が使っている日本語は厳密には同じ意味で使われていないし、使われていないという認識がない人が少なからずいる時点で意思疎通は困難」とツイートしていました。

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 何やら言語哲学っぽい話ですが、恐らく「脳内辞書」みたいなものは人それぞれ…… といった内容。みんなが同じ「日本語」を使って会話しているように見えて、言葉の意味やニュアンスには微妙な違いがあるということなのでしょう。各々が自分ルールの「日本語」で会話しているのだから、「話せばわかる」では通用しなくなる場面があるのも当然。同じ議題について議論をしているつもりでも、お互いが全く違う話をしている可能性もあるかもしれません。

 色々と複雑な問題ですが、山本さんのツイートには共感する人が多い模様。他のTwitterユーザーからは、「何をどう話しても伝わらない時があるけど、そもそもの言語体系が違うなら納得」「『話せばわかる』なら最初からトラブルになんかならないよね」「『なんでそういう風に受けるの!?』って思うことは良くあるけど、使ってる日本語が違ったのか」といった声が上がっています。

言語が違う相手と会話するには?

 極論を言えば「みんなが別々の言語で会話をしている」とのことですが、それでも「話し合い」でどうにかトラブルを解決しなくてはならないのも事実。一体どのようにすればしっかり話し合えるのか、ネット上では「まずお互いの認識をしっかりすり合わせるのが重要。『○○とは○○のことです』みたいに、定義づけすれば良いのでは?」「『自分と他人は別の言語で喋ってる』ってことを互いに理解できれば歩み寄れそう」などの意見が寄せられていました。

 また今回話題になったツイートを見て、「『言葉』だけじゃなくて『常識』にも当てはまりそう」と指摘する人も。よく「世間の常識」「社会の常識」といった言葉を見かけますが、「常識」も人によって認識が違うと言います。同じような意見を持つ人は多いようで、「『○○は常識』って言われると、『どこの常識?』って言いたくなることは多々ある」「『自分の中の常識』を『世の中の常識』だと思い込んでる人って多いよね」といった声が。

「人それぞれだから歩み寄る必要がない」ということではなく、人それぞれだからこそ相手を理解する努力をしながらコミュニケーションを図りたいですね。

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