三浦しをんが福山雅治にツッコミをいれた!?

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/26

直木賞作家・三浦しをんの新作エッセイ集『お友だちからお願いします』(大和書房)が出版された。
三浦といえば、小説だけでなく、知的な仕掛けがふんだんに盛り込まれた軽妙なエッセイにも定評があるが、今回の『お友だちから~』はこれまで以上の刺激と新たな発見に満ちた1冊となっている。

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なかでも興味深かったのが、福山雅治のヒット曲『東京にもあったんだ』のことを書いた「イメージと実態」と題された文章だ。きれいな月や夜空が東京にもあったんだ、と唄うこの曲に、東京在住の三浦が「ビミョーに東京に対して失礼じゃないか?」とツッコミを入れているのだ。
「歌詞を読むと、東京ってのはどんだけ勝ち負けにとらわれた、生き馬の目を抜くデンジャラスシティなんだ、と驚く。そんな東京、悪いけど私は見たことない」

しかも、このエッセイ、わざとしつこく絡む風を演じているところがおもしろい。母親が福山ファンだから、福山氏批判をしたら命の危険にさらされるといったギャグで自制するポーズをとっておきながら、「悪いのは“東京のイメージ”であり、もっと言えば、凡庸な“イメージ”に安易に乗っかった歌を歌う……、すまん、やっぱりちょっと福山氏批判だな、これ。」とノリツッコミをしてみせる。「福山氏の気持ちもなんとなくわかる」といいつつ、そのすぐ後に、皮肉っぽい言い回しをして「やっぱりどうしても『和歌山県民の前で“和歌山にあったんだ”って歌えんのか、ごるぁ』という思いを拭い去りきれないためだが」と話を蒸し返す。

もちろん、これは東京愛が強すぎてツッコミを入れずにいられなかったとか、ベタな二枚目が嫌いだから福山をいじめたくてしようがなかったとか、そういうことではないだろう(たしかにベタな二枚目は好みでない気はするが)。

おそらく、このツッコミのベースには、三浦の世界に対する非常に繊細な視点があるのではないかと思う。東京を紋切り型で描いた福山に対して、三浦は自分が長く暮らした、そして『まほろ駅前多田便利軒』(文藝春秋)のモデルでもある町田のことを持ち出し、地域によって細かくムードがちがう東京をひとくくりにすることなどできないと指摘する。しかも、その町田についても、けっしてよくある郊外論に陥ったりしない。同じエッセイ集に載っている「町田も東京だったんだ」という項では、町田が東京にも神奈川にも相手にされていない状況を自虐的に紹介しつつ、活気ある駅前と住宅地、昔からの農家などが混在し、多種多様な人が生活している街のおもしろさを活き活きと描いている。

実は、この多様さへの愛情、類型におさまりきらないものたちへのこだわりこそが、三浦の作品づくりの根っこになっている気がするのだ。そして、そのこだわりがもたらす、差異や変化への注意深い観察力。だからこそ、彼女の小説はそれがどんな物語であろうと、魅力的なディテールにあふれ、人の心のささいなゆらぎまでがリアリティをともなって伝わってくるのではないだろうか。

そう考えると、典型的な二枚目を演じ、うっとりするような歌詞を歌い続ける“ミスターベタ”福山雅治とは水と油。最初から相容れるはずがなかったのかもしれない。もっとも、三浦はこの「イメージと実態」というエッセイで、最後、「なにかの実態を細かく描写することが、必ずしも、多くのひとに伝わる表現であることとイコールではない、というのが創作の難しいところだよなあ」と漏らした後、こうしめくくっている。
「『東京にもあったんだ』は、細かい描写を選択せず、思いきってイメージに依拠したことで、多くのひとに伝わった成功例だ。」

紋切り型に抗いながら、作品をエンタテインメントとして成立させ、普遍的なテーマにたどりつく。そんな困難と格闘し続けている三浦にも、心のどこかには、福山のようにあっけらかんとベタをやってみたいという憧れがあるのだろうか。それとも、福山ファンだという母親に「三連続まわし蹴り」されるのを本気で恐れ、フォローに走っただけなのか(笑)。いずれにしても、知的で笑える“しをん節”を堪能できる一編だった。