日本の顔「東京駅」の波乱万丈な歴史が分かる本

社会

更新日:2012/11/5

 10月1日、赤煉瓦造りでおなじみの東京駅丸の内駅舎の復元工事が完了し、1914年の開業当初と同じ姿でリニューアルオープン。メディアでも盛んに取り上げられ、新たな観光スポットとして大いににぎわっている。それはそれで素晴らしいことなのだが、古い建造物が老朽化を理由にすっかり別の現代的な高層ビルになって生まれ変わることの多い近年、なぜ東京駅だけが復元されることになったのだろうか。

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 もちろん、文化遺産を大切にし、未来に引き継いでいこうとするJR東日本の姿勢を賞賛することもできる。しかしそれ以上に、東京駅が東京の、そして日本の顔として歩んできたという歴史の重みこそが、復元された最大の理由なのではないだろうか。

 東京駅が開業したのは、日本初の鉄道が新橋~横浜間で誕生してから約40年後。南への起点である「新橋」と北への起点である「上野」を結ぶ路線の中間駅として計画された。皇居からほど近いという場所柄、当時の日本を代表する建築家・辰野金吾らによる設計のもと、帝都の顔にふさわしい威容を持つべく、豪華な駅舎として建てられた。

 その後、大名屋敷から軍部の施設を経て民間に払い下げられ、野原と化していた丸の内近辺も一気に開発が進み、丸ビルや郵船ビルディング、明治生命館などが次々に登場。東京駅は原敬・濱口雄幸の両首相が襲撃されるなど、歴史的事件の舞台にもなった。

 そして戦争。1945年5月には、東京駅もB29の空襲にさらされる。焼夷弾によりシンボルだったドーム型の屋根は焼け落ち、無残な姿に変り果てた。戦後、短期的なつなぎとして復旧された2代目の東京駅丸の内駅舎は、結果として約60年間も使われ続けることになった。

 1964年には新幹線が開業する。その始発駅として、東京駅の存在感はさらに増していく。新幹線の運行指令所も長く置かれ、「みどりの窓口」の第1号も東京駅だった。国鉄からJRに変わり、ブルートレインが一大ブームになったときも、旅人たちは東京駅から旅立っていった。1990年には京葉線地下ホームができ、2000年代には改札内商業施設(エキナカ)も登場する。

 このように、東京駅は東京と日本の歴史を見守り続け、先を走り続けてきた。まさしく、帝都、そして日本の中心であり続けたのだ。

 そんな東京駅の波乱万丈の歩みが、開業前の経緯から詳細に記されているのが、『東京駅の履歴書 赤煉瓦に刻まれた一世紀』(辻 聡/交通新聞社)。ホームが増え、拡大を続けていく様子やステーションホテル内部の設計に携わったと思われるのが、原爆ドーム(元は広島県物産陳列館として開館)の設計者であるヤン・レツルだったという秘話などが満載で、じっくりと東京駅の歴史を堪能できる。

 さらに、その歩みを写真や絵で楽しみたいならば、『絵解き東京駅ものがたり』(イカロス出版)。開業前の工事の様子から、往時の駅の日常、東京駅に乗り入れた数々の列車たちの姿など、貴重な写真が収められている。復元された今の丸の内駅舎が、開業当時と寸分たがわぬものだということも、本書を見れば一目瞭然だ。

 東京駅は、再来年2014年に開業100年を迎える。1世紀にわたって、たくさんの人々の出会いと別れの場となり、時代の移り変わりを見つめてきた東京駅。復元リニューアルを期に、その歩みを振り返ってみるのも、面白いかもしれない。

文=鼠入昌史(OfficeTi+)