【連載】大論争!哲学バトル Round 01 格差はどこまで許されるのか?

公開日:2016/4/28



ソクラテス
議長のソクラテスじゃ。ここでは時代に関係なく世界中の哲学者達に登場してもらい、21世紀の時事問題を、好き勝手に議論をしてもらう。


アリストテレス
楽しみですな。私の師であるプラトン先生はソクラテス先生の弟子ですから、私は先生の孫弟子ということになりますが、まあ討論においては師匠も弟子もない。遠慮なく議論させてもらいますよ。


ソクラテス
無論だ、大いに結構。
では、さっそくだが最初のテーマは、今日本でも世界でも大きな論争を呼んでいる「格差問題」を採り上げてみよう。


アリストテレス
いわゆる「富の偏在」の問題ですな。


ソクラテス
そうじゃ。今回登場してもらうのは、アリストテレスに加え、マルクス、アダム・スミス、ロールズの4名じゃ。では、まず先輩格のアリストテレスの意見から聞いてみようか。


アリストテレス
社会(ポリス)においては、成果をあげることができる人は、そうでない人よりも多くの対価を受け取るべきですな。これを配分的正義といいます。経済的格差を何でもかんでも「悪」とみるのは間違いだ。


マルクス
まったく受け入れられませんな。
アリストテレスさんの古代ギリシャの時代ならいざ知らず、資本主義の現代では、労働者の賃金は過小評価され、生産価値から賃金を引いた剰余価値は資本家によって収奪される。そして資本家が支配する不公平な社会が生まれてしまうのだ。
格差が拡大する資本主義の社会は、階級闘争を通した「革命」によって倒さなければならない。


アリストテレス
マルクス君の意見は極端で物騒だな。何事もバランス(中庸)が重要だよ。


ソクラテス
ではアリストテレスの理想とする社会はどのようなものかのう。


アリストテレス
私が考える理想的なポリスとは、極端な民主制でもないが、支配者が強権を振るうような王制でもない。うむ、共和制を理想とすべきだろうな。もし格差が生まれて、絶対王政のようなものが存在するならば、それを打倒することで共和制に近づくべきかもしれない。


ソクラテス
マルクスが言っていた、資本家を打倒する話と、なんか似ておるのう。


アリストテレス
ふむ、「革命」ですな。革命を肯定するとなると、どうもマルクス君の考えとも重なるかな?


マルクス
アリストテレスさんの口から「革命」が出てくるとは思いませんでしたが、まさにそれは、私の申し上げる労働者階級による革命に通じますね。
革命によって支配階級である資本家が打倒され、共産主義の世の中が生まれるのです!


アリストテレス
「資本家」と「労働者」か……。
言葉の意味はイマイチわからんが、要するに支配層が倒れて理想的な社会になるということだな?


マルクス
まあ、大ざっぱに言えばそういうことですな。


アリストテレス
であれば、我々の考えは一致している。
極端な搾取が行われるならば、革命という対抗手段も認められるだろう。


ロールズ
いやいや、ちょっと待ってください。いきなり革命にまで話をもっていくなんて乱暴すぎます。
社会正義を実現するというのは、もちろん私も賛成ですが、もう少し、現在の社会体制を維持しながら弱者を救済するという現実的な方法を考えませんか。


ソクラテス
ではどのような方法で正義を実現すると?


ロールズ
私は、「公正としての正義」には、二つの原理があると思います。
一つが「政治的な平等」。もう一つが「社会経済的な平等」です。


アリストテレス
ほうほう、それで?


ロールズ
特に二つ目の原理「社会経済的な平等」を実現するには、「機会均等の原理」と「格差是正の原理」の二つが成り立たなくてはなりません。平等な競争をしつつ、社会的弱者の救済を福祉政策で救済するのです。


マルクス
なるほど、福祉か。それが実現したならば、革命が起きなくても、階級闘争も人間の疎外も解決してしまうというのか。


アダム・スミス
私は反対ですな。ロールズ君の正義論は、どうも人間についての根源的な理解からズレてしまっているようだ。


ロールズ
それは聞き捨てなりません。私の人間理解が間違っているとでも?


アダム・スミス
その通り。福祉国家と言って、一見、理想的な社会を語っているように見えるがね、誰もが救われるという甘い環境のなかで、人は果たして競争をし、そのために努力をするだろうか。ロールズ君は、私の言う「見えざる手」をちゃんと理解していないのではないかな。


ロールズ
「神の見えざる手」のことですか。


アダム・スミス
いや、私は「神の」とは実は言っていないのだがね。『国富論』をちゃんと読んでくれ給え。
まあ、それはともかく、人間はそれぞれが利己心に基づいて行動すれば、必ず、最適な予定調和へといたるという考え方だ。
個人の利己心に基づく利益追求は、「見えざる手」によって社会全体の利益に繋がるということだよ。


ロールズ
皆が利己心に従って行動したら、不公平と格差は広がるばかりでは?


アダム・スミス
要するにロールズ君の言う、公正としての正義に基づく福祉国家というのは、個人の利己的自由を排して、何でもかんでも国家や政府が面倒を見るということだろう。


ロールズ
何でもかんでもとは……。


アダム・スミス
しかしね、自分がいくらでどれだけ働くのか、あるいは会社がどれだけの労働者をいくらで雇用するのかといった決定に、いちいち政府が介入していたらどうなるのか。賃金さえも意図的に決定されてしまうことになり、個々人の自由な競争が阻害され、利益追求がなされることもなくなってしまうだろう。これでは、人間社会を成り立たせる正しい競争は生まれはしない。


ロールズ
正しい競争? まさしくその部分を私も議論しているのですよ。人間は生まれつき平等ではありません。にもかかわらず、全ての競争が利己心と自己の努力のみで行われ、その結果も全て自己で負うことが「正しい」のですか? 私は、それは正義ではないと思いますが。


マルクス
私もそう思う。そもそも資本主義という世界は、不平等を前提としている。労働者は資本家によって搾取されるのは自明のことなのだ。人間とは「労働」によって自己実現をする生き物であり、労働とは、他者との協働作業であり一人で営まれるわけではない。人間は他者と関わることによって生きる類的存在なのだ。アダム・スミスさん、本当に人間は一人で生きているとお思いですか?


アダム・スミス
ええ、個々人の利己心が前提とすれば、そう思います。社会の存在を否定するわけではありませんが、結局のところ、あらゆる人間の決定を下すのは自分自身です。とはいえ、本性は利己的である人間も、他人に対する共感や同情によって、道徳的に振る舞うことができます。共感や同情を導きだすものは、冷静で公平な観察者の視点です。競争は全てフェアプレーとして称賛されるものになります。「見えざる手」は、こうしたフェアプレーを前提として働くものなのです。


マルクス
フェアプレーでさえあれば、富の偏在は容認すべきだと?


アダム・スミス
例えば、遊園地に「並び屋」という仕事があったとしましょう。人気のアトラクションに乗りたい、だけど長時間列に並んで順番待ちをするのは嫌だ。そんな人のために代理で行列に並んで報酬を得るという仕事です。この場合、売る側と買う側、すなわち「並び屋」の看板を掲げる業者と、これにお金を払うお客がいれば、彼らの合意によってこの商売は成り立ちます。しかし、それで周囲の人々の「共感」、公平(中立)な観察者の「共感」は得られるでしょうか?


マルクス
それはあり得ない! アンフェアである!


アダム・スミス
そう。だから「第三者の共感」を持たない競争や経済行為は、フェアプレーではないから、行うべきではないというのが、私の立場です。


ソクラテス
人は一人で生きるか、他者との関わりにおいて生きるかで意見が分かれるようだが、他者との関わり自体は引き受けなければならないという点では、一致しているようじゃな。
アリストテレスの「配分的正義」、マルクスの「階級闘争」、ロールズの「公正としての正義」、そしてスミスの「共感の倫理」、いずれも「他者との関わり」を議論する上で重要な概念だ。ではその「他者との関わり」を考える時、社会における格差は条件付きで認めたとしても、その格差を放置して、富の偏在を固定化することには、やはり問題があるようじゃな。

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<著者プロフィール> ●畠山 創:北海道生まれ。早稲田大学卒業。専門は政治哲学(正義論の変遷)。現在、代々木ゼミナール倫理、政治・経済講師。情熱的かつ明解な講義で物事の本質に迫り、毎年数多くの生徒を志望校合格に導く。講義は衛星中継を通して約1000校舎に公開されている。「倫理」の授業では哲学的問いを学生に投げかける「ソクラテスメソッド」を取り入れ、数多くの学生に「哲学すること」の魅力・大切さを訴え続けている。

岩元 辰郎●フリーイラストレーター。法廷バトルアドベンチャー『逆転裁判』シリーズや『バクダン★ハンダン』などのゲームや、アニメーション『モンスターストライク』等のキャラクターデザインを担当している。