注目の新刊 『「青鞜」の冒険 女が集まって雑誌をつくるということ』 ダ・ヴィンチ2013年9月号
女性による女性のための雑誌として明治44年に創刊された雑誌『青鞜』。その発行に携わった平塚らいてう、伊藤野枝ら同人たちの人生を鮮やかに蘇らせたノンフィクション。『青鞜』の約100年後、著者が千駄木で発行していた雑誌『谷根千』への言及もあり、興味深い。
最終更新 : 2018-06-08
エッセイスト
女性による女性のための雑誌として明治44年に創刊された雑誌『青鞜』。その発行に携わった平塚らいてう、伊藤野枝ら同人たちの人生を鮮やかに蘇らせたノンフィクション。『青鞜』の約100年後、著者が千駄木で発行していた雑誌『谷根千』への言及もあり、興味深い。
東京スカイツリーのオープンを前に盛り上がる“下町”ブーム。それでは、どのくらいの人が「下町」について正確に知っているだろうか。東京に生まれ育ち、地域雑誌『谷根千』の編集者として町を見つめ続け、東京東部に関する著作も多い森まゆみさんにお話をうかがった。
「下町は元々町人の住まう町、銀座・京橋・神田・浅草などを指しました。昭和30?40年代に映画の影響もあって荒川あたりや葛飾も含まれるようになったんです」
「谷根千」も下町と呼ばれることが多くなってきたが。 「そのイメージは間違いなんですよ。地域のなかで助け合う『おたがいさま』という意識は共通していると思いますが。千駄木のなかにもお屋敷町があったりして、ひとくくりにできません。私たちは高度経済成長で失われた街並みが比較的残る『江戸の時を刻む町』と表現するようにしています」
最近は山の手と下町が混同されることも増えてきた。 「下町と山の手はセットです。昔から下町は住宅街である山の手から遊びに行く歓楽街として発展したんです。都庁が新宿に移転するなど、東京の中心が西に移動して、『下町』と呼ばれる…
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