乙一節が全開! 唯一無二の世界観とテクニックにしびれる、恐ろしくて切ない短編集『さよならに反する現象』

文芸・カルチャー

更新日:2022/6/27

さよならに反する現象
さよならに反する現象』(乙一/KADOKAWA)

 乙一氏の『さよならに反する現象』(KADOKAWA)は5つの短編小説から成る、200ページ弱の書物だ。そう聞くとボリュームが少ないと思われるかもしれないが、ひとつひとつの話の密度や濃度やいつも通り、いや、いつもの乙一作品以上ではないか。リーダビリーティーの高い文章、ウィットに富む登場人物たちの台詞、心がざわつくホラー的な展開など、乙一節が全開になっている。以下、5篇のうち2つをピックアップして、読みどころを紹介する。

 劈頭に置かれた「そしてクマになる」は、会社をリストラされたものの、妻や子供にそのことを言いだせずに苦悩する男性が主人公。男は土日になると、部下がミスをしたなどの嘘をついて、会社に行くフリをする。実際は、男性は着ぐるみをかぶって風船を配るバイトをしているのだが、それは家族には内密にしているのだ。平日は公園で暇をつぶし、似たような境遇の人と知り合うというのは、黒沢清氏監督の映画『トウキョウソナタ』などにも描かれた光景だ。

 ある日彼が住宅展示場で風船を渡していると、自分の妻と子供が見知らぬ男性と訪れる。いや、訪れたように見えた気がする。この辺りから男性はまるで妄念に取り憑かれたかのように、一家に自分の居場所はもはやないと思い込む。だが、状況証拠を探っていくと、妻と娘が住宅展示場を訪れた形跡は見つからない。

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 結局、一家には安泰が訪れるが、主人公の男性が見たのはなんだったのか、あえて釈然としない部分もある。だが、そここそが面白い。男性が見た情景のうち、どこまでが事実で、どこからが錯覚や思い込みなのかが、曖昧なままエンディングを迎える。多様な解釈を許容する構造をとっているのである。

 また、住宅展示場で展開される一連の騒動には、乙一氏の描写の細かさと鋭さに舌を巻く。新しい父親とも取れる男性に敵対心をむき出しにして、気ぐるみで暴れまわる主人公の大立ち回りは刮目に値する。このシーンを味読するためだけにでも、本書を読む価値がある。そう言ってしまいたい。

「悠川さんは写りたい」は、一日中、部屋で心霊写真を作っている青年の話。青年は仕事もしておらず、家族も恋人もいないから、誰とも会話をせずにひきこもっている。心霊写真を作っている、というと違和感があるかもしれないが、要するに画像編集ソフトで青年がそれらしき写真に編集、合成するということだ。昨今は、アーティストの写真などでも、顔面の左右が完全に対称になる加工がなされていることがあるが、心霊写真でも同じことができるのだろう。

 そしてある日、青年のもとに悠川という女性の幽霊が訪れる。彼女が死んだのは交通事故にあったからなのだが、その間接的な引き金になったのが、当時交際していた男性の浮気だった。悠川が彼に復讐したいがために、青年を利用して、とっておきの心霊写真を創る。様々な過程を経てできあがった写真は異様におぞましく、元カレへの復讐は果たしたことになる。だが、最後の最後で、またしても読者を驚嘆させる一行が用意されており、モヤモヤを残しながらも、不思議な満腹感をもたらす短編に仕上がっている。

 いずれも結末でどう話を決着させるかがカギを握っているが、そこはデビュー25周年を迎えた名手・乙一氏のこと。長年にわたって鍛錬を積み、バリエーションに富む作風を打ち出してきた彼の力量がいかんなく発揮されている。ちょっとした主人公の台詞が伏線になっていたり、なにげない心理描写がのちに活きていたり。「神は細部に宿る」という言葉はこういう小説にこそ当てはまるのではないだろうか。

文=土佐有明

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