『日本列島改造論』の刊行から50年。田中角栄の提言から見るローカル鉄道の今

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公開日:2022/7/1

「日本列島改造論」と鉄道
「日本列島改造論」と鉄道』(小牟田哲彦/交通新聞社)

 通勤、通学、買い物、レジャー。移動手段として身近な鉄道だが、昭和を代表する政治家のひとり・田中角栄とも深い縁があることをご存じだろうか。

 今から50年前、1972年に刊行された『日本列島改造論』に象徴される角栄の交通政策は、高速道路と新幹線の整備がよく知られているが、その一方で地方ローカル線の重要性も説いている。角栄は“国鉄のお荷物”だった「地方ローカル線」をなぜ重視したのか、その有様を解説するのが『「日本列島改造論」と鉄道』(小牟田哲彦/交通新聞社)だ。

『日本列島改造論』が刊行された当時は、今のJRの前身・国鉄の時代。国鉄はなかなか採算が取れず、赤字となっていたローカル線の廃止によって、財政難からの脱却を試みていた。だが、角栄の考えは違った。

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「私は、鉄道はやむを得ない事であるならば赤字を出してもよいと考えている」(『日本国有鉄道百年史 第13巻』)

「すべての鉄道が完全にもうかるならば、民間企業にまかせればよい。私企業と同じ物差しで国鉄の赤字を論じ、再建を語るべきではない」(『日本列島改造論』)

「これからの新幹線鉄道は、人口の集中した地域を結ぶだけではなく、むしろ人口の少ない地域に駅を計画的につくり、その駅を拠点にして地域開発をすすめるように考えなければならない」(『日本列島改造論』)

 角栄は、鉄道を建設することで都市と地方の差をなくし、地域の産業を活性化させることを狙っていた。それができるのは国(国鉄)しかない、という考えだった。

 角栄がどれほど鉄道に光を見出していたのか。それは、角栄のルーツにもヒントがある。高等小学校卒で「平民宰相」とも呼ばれた角栄の生まれは新潟県柏崎市。日本海に面した、新潟県内で6番目の人口を有する市だが、今も生家が残っている西山町は山に囲まれ、人影もまばら。静かな雰囲気が漂う町だ。

「みなさーん、こ、この新潟と群馬の境にある三国峠を切り崩してしまう。そうすれば、日本海の季節風は太平洋側に抜けて、越後に雪は降らなくなる。みんなが大雪に苦しむことはなくなるのであります! ナニ、切り崩した土は日本海へ持っていく。埋め立てて佐渡を陸続きにさせてしまえばいいのであります」

 若き角栄が新潟の選挙区で語ったこの「三国峠演説」からは、関東、東京への障壁となっていた山地を切り崩して平らにし、人の移動を活発にしたい、と願った角栄の想いがひしひしと伝わる。さらに、新潟はかなりの豪雪地帯。雪国では行政が負担する除雪費がばかにならない。『日本列島改造論』では、国鉄の赤字地方線をすべて道路に切り替えた場合、除雪費用は膨大になり、国民の負担が大きくなる、といったことにも言及しており、なんとも新潟出身の角栄らしい考えだと言えるだろう。

 福島県と新潟県を結ぶ只見線は、角栄の想いが息づくローカル線のひとつ。1971年、田中角栄は只見線の発車式に参加している。折しも2011年の7月豪雨災害によって10年以上も不通となっていた区間(会津川口駅~只見駅間)が、2022年10月1日予定で全線運転再開することも話題に。今、もっとも期待が高まるローカル線といっても過言でないだろう。

昭和46年8月31日付「交通新聞」より。角栄が真ん中でロープを切る姿が。

 只見線が全通した1971年は、『日本列島改造論』刊行の1年前。当時の地元住民には“待望”の路線だったようで、かなり好意的に受け入れられていた。角栄も期待を寄せ、「只見線の全通は道路から鉄道へ転換する新しい歴史のページを開くものだ」とコメント。

 しかし、只見線はだんだんと利用人数が低下。平成22年度の輸送密度(1キロメートルあたりの1日平均旅客輸送人員)は、なんと49人。それでも沿線の自治体はこの路線を放っておかなかった。JRと沿線地域双方が資金を出しあいながら、復旧へと導いたのだ。

 ローカル線が利用者の低迷に悩み、災害で不通になりながらも、公の金で復旧する。ここには『日本列島改造論』で語られた、「交通インフラは公の金で維持すべきだ」という角栄の意志が感じられる。半世紀が経った今、田中角栄の交通政策は見るべきものにあふれている。本書を手に取って、体感してみてはいかがだろうか。

記事提供:交通新聞社

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