洪水で流れ着いた黒い箱は不思議な別世界と繋がっていた――6つの世界がひとつにつながる、著者のファンタジー世界の到達点!

文芸・カルチャー

更新日:2022/7/4

箱庭の巡礼者たち
箱庭の巡礼者たち』(恒川光太郎/KADOKAWA)

 洪水で流されてきた箱をあけると、そこにはミニチュアの人々や動物たちが生きる、異世界があった――。恒川光太郎氏の最新作『箱庭の巡礼者たち』(KADOKAWA)は、主人公の少年がそんな箱庭の世界を発見するところから始まる。洪水で母を亡くし、父は仕事で不在がち。ひとりきりで過ごす時間の多い少年、内野陽は箱庭世界の観察に没頭するようになり、やがてそこで起きているさまざまな出来事に気がついていく。

 たとえば城には王族や貴族が住んでいて、町の人々を支配している。定期的に城から騎士が派遣され、町の住民を追いかけまわして殺すのだ。また、一年に一度、住民投票によって必ず“死刑される人”が選びだされる。誰かを選ばなきゃいけない、という理由だけで命を奪われる無実の人がいる一方、善人の顔をして裏で人々を殺しまくっている殺人鬼もいる。

 殺人鬼の存在に気づいたのは、唯一秘密を共有している同級生で、恋人でもある絵影久美だった。どうやら警察機構の存在しない箱庭では、誰も殺人鬼を止めることができず、野放しだ。誰かがなんとかしなくちゃいけない、行かなくてはいけないという気がしている、と言う彼女に陽は、それは向こうの世界の住人がやることだ、と言う。「誰かを救うなら、ぼくたちはぼくたちの世界でやるべきだ」と。箱庭世界は、竜も吸血鬼も存在する、この世のことわりがおそらくまったく通用しない場所だ。しかも一度行けば戻ってこられないだろうと、陽はほとんど確信していた。

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 それでも、絵影は行った。兄に虐待され、両親に無視され、箱庭を陽と眺めている時間以外に平穏のない彼女にとって、自分の現実にとどまることより、目の前で殺されようとしている人々を救うことのほうが大事だったから。

 そうして箱庭の内側と外側、ふたつの視点で物語が進んでいくのかと思いきや、そうはならないのがこの小説のすごいところである。第2話に登場するのは、時間を跳躍することのできる銀時計を手に入れた、貧しい姉弟。第3話は、7時間というリミットつきで、この世のすべてを強力に接着することのできる発明品をめぐる物語。第4話の主人公は、目にしたすべてを記憶し、人並みはずれた洞察力で“予知”をもしてみせるギフテッドの少年……。

 その合間に、絵影が先頭に立って改革した箱庭世界の“その後”が描かれるので、すべての物語は箱庭に通じているだろうことは、うすうす察せられる。けれど読んでいるうちに、どちらが自分たちの世界で、どちらが箱庭なのか、わからなくなってくる。設定が複雑だから、ではない。ときに理不尽とも思えるルールに支配されながら、あらかじめ決められた(ように見える)そのルールに従って、傍観者のように生きることしかできないのはみんな同じだからだ。それでも、その限界を打破し、新たに世界を切り開こうとする存在が、必ず現れるというところも。

 ギフテッドの少年の洞察は、6割当たり、4割はずれる。〈つまり何かを知ったようでいても、四割は妄想と変わりがない〉と少年は思う。私は狂っているのだろうか、と。だがそれをただの妄想で終わらせるのか、何かを変える力とするかは、少年と、彼の言葉に触れた人しだいだ。この物語の、示唆に富んだ世界観と言葉の数々に触れて、何かを知ったような気持ちになるのも、たやすい。けれどその4割、不確かなまま浮遊する妄想を、時間をかけてどう解釈していくのか。それしだいで、読者の目に映る世界の姿は変わっていくだろう。

 一度読んだだけでは理解しきれないからこそ、洞察と妄想を重ねながら何度となく読み返し、自分だけの物語として育てていきたい。そう思える本作は、幻想怪奇の物語をさまざまに紡いできた恒川光太郎氏の作品のなかでも、群を抜いて奥深く、これまでとは少し違う地表に到達したように感じられる。

文=立花もも

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