芥川賞候補作! “偏屈なばばあ”の介護に汲々とする親子の苦悩を描く『あくてえ』。その家族に幸せな結末は待っているのか?

文芸・カルチャー

公開日:2022/7/19

あくてえ
あくてえ』(山下紘加/河出書房新社)

 山下紘加氏が2021年に上梓した『エラー』は、実に野心的で衝撃的な小説だった。テレビの大食い番組に出場するフードファイターたちの生き様を描いた同作は、山下氏の作家としてのポテンシャルの高さを見せつけてくれた。そして、『文藝』2022年夏季号に掲載された山下氏の新作『あくてえ』河出書房新社)は、第167回芥川賞の最終候補にあがっている。選考会は7月20日だ。

『あくてえ』は、ざっくり言うと高齢者の介護の話である。小説家志望の主人公「ゆめ」は、母親の「きいちゃん」と共に、90歳の祖母の世話に汲々とする日々。ゆめの父親は浮気が原因で既にきいちゃんと離婚しており、自分の母親の世話を元妻に押し付けている。なお、タイトルの『あくてえ』は、悪口や悪態といった意味を指す甲州弁だそう。ゆめは、祖母の下品で野暮ったい言葉遣いを聴いて育ったので、その記憶が深層にこびりついているのだろう。ゆめは苦手な祖母を心の裡で「ばばあ」と呼ぶ。

 様々な病気を抱え、認知症の兆候もあるばばあに、ゆめときいちゃんは時に冷静に、時に熱心にケアをする。だが、ばばあは、感謝の念をまったく表に出そうとしない。特に献身的に介護にあたるきいちゃんには、恩を仇で返すようなことを言う始末。ばばあは聴覚が衰えていると自己申告しているが、自分に都合の悪い時だけは何も聞こえていないフリをする。

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 不平不満があると、ばばあはきいちゃんの手を叩いたりもする。もし、きいちゃんがばばあに同じことをしたら、即座にDVとして問題になるはずだ。ばばあは自分が弱者であることを自覚しており、それをエクスキューズにしてきいちゃんに罵声を浴びせ、辛く当たるのだ。偏屈で二枚舌でわがまま。高慢で強気で怒りっぽい。なんとも厄介で手に負えない人物である。

 きいちゃんは、ばばあに「あくてえ」をつかれても必死で我慢して、何事もなかったように介護を続けるが、内側にストレスを溜め込んでいるのは明らかだ。そのストレスが閾値を超えると、きいちゃんは、電池が切れてしまったように動けなくなってしまう。皮肉なことだが、ばばあがいるからこそきいちゃんは気張って介護に専念できる。そして、彼女がいないと逆に燃え尽きたように虚脱状態に陥ってしまう。きいちゃんとばばあは共依存的な関係にあるとも言えるだろう。

 ばばあとふたりの間には日常会話が成り立たない。成り立つとすれば、ばばあが理不尽な不満や不平を述べ、ゆめときいちゃんがそれに気色ばむ時のみ。諍いや争いをしている時だけは、コミュニケーションらしきものが発生する。

 描かれる世界は決して広くない。半径5メートル以内とまでは言わないまでも、ばばあを取り巻く数人の身内の話である。だが、著者はいち家庭の内紛を細密に描くことで、介護の辛さという普遍的なテーマを浮かび上がらせている。

 著者はばばあを徹底的に憎らしい人物として描いている。読者は余りにも自分勝手なばばあに憤りを覚えるだろう。あるいは、ゆめがそうであるように、老婆を「ばばあ」呼ばわりし、嫌悪感を露わにするかもしれない。だが、それは、キャラクターを立たせる著者の狙いや企てに誘導されている、ということではないか。

 年老いて身体の無理が利かない老人はか弱き存在であり、その下の世代が全力で面倒を見ることになる。多くの読者はそう思っているだろう。だが、そうしたステレオタイプで割り切れない例外もあまたあるはずだ。それこそばばあのような高齢者は、実際に一定数いると推測できる。だからこそ、著者はその「例外」を真正面から執拗な筆致で描き切った。これが本作の最大の特色ではないだろうか。

 ばばあは自分がケアされる側の人間であることに意識的であり、実にクレバ―に立ちまわる。高齢社会においては、今後多くの人がばばあのような高齢者と密に関わることも増える。しかも、介護する側が相手を選ぶことはできないのだ。そうした、アクチュアルな問題意識を読者に突きつける、示唆に富む一冊である。

文=土佐有明

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