「誰も自分の人生の責任を取ってはくれない」――『流浪の月』凪良ゆうが描く、“正しく生きられない”人々の救いのような物語

文芸・カルチャー

更新日:2023/2/2

汝、星のごとく
汝、星のごとく』(凪良ゆう/講談社)

「自分の人生を生きることを、他の誰かに許されたいの?」と『汝、星のごとく』(凪良ゆう/講談社)の主人公・暁海に、とある女性が言う。自分しか頼る人のいない母親を置いて、母親を裏切った父親ならまだしも、その愛人から金銭の援助を受けて東京の大学に進学するなんて、許されることじゃない。そう言って決断できずにいる暁海に、その人は続いてこう言った。

「誰かに遠慮して大事なことを諦めたら、あとで後悔するかもしれないわよ。そのとき、その誰かのせいにしてしまうかもしれない。でもわたしの経験からすると、誰のせいにしても納得できないし救われないの。誰もあなたの人生の責任を取ってくれない」

 正論だ。そして、暁海を感情的に縛りつける母親よりもずっと、暁海の未来を案じてくれている。けれどその人こそが、他でもない、父親の愛人・瞳子だった。家のことさえちゃんとしていれば幸せは壊れるはずがないのだと、かたくなに信じて夫の帰りを待ち続ける母親と違い、恋人である暁海の父親にも凛とした態度で接し、お金があるから自分は自由でいられるし誰にも依存することはないのだとはっきり言える彼女に暁海は惹かれる。彼女の生業である刺繡作家になりたいと憧れすら抱く。それが母親にとってどれほどの裏切りか知っているから、暁海は生まれ育った瀬戸内の島から出られない。

 そんな暁海にとって、唯一の生きる希望が、恋人の櫂だ。高校で出会った彼は、島の外からやってきた転校生。男をつくっては捨てられて泣く母親にふりまわされ続けてきた彼もまた、暁海と似た孤独を抱えていた。けれど暁海と違うのは、在学中にマンガ家としてデビューを決め、卒業後に単身、東京へ出る手段を自力で得たこと。彼の母親が快く櫂を送りだしたのは、恋人がいたからということ以上に、櫂が大金を稼ぐ可能性に夢を見たからだ。瞳子の言うとおり、お金があれば誰かに依存しなくていいし、自由に自分の道を決められる。女性にとって結婚があたりまえのゴールである島で、櫂の恋人であるということ以外、誇れるものが何もなくなってしまった暁海と、東京で成功して華々しい生活を送る櫂のあいだに生まれた溝は、その後、年月をかけて少しずつ大きくなっていってしまう。

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 ただ、大金を得た櫂が自由になれたかと言えば、そうともいいきれないのが、本作で胸が衝かれるところである。〈自分で自分を養える、それは人が生きていく上での最低限の武器です〉というセリフも登場するが、自分を養うためには、金銭的に自立するだけでは、だめなのだ。心もまた、自分だけの砦をつくって、守ることができなくては。櫂は仕事で成功し、母親以外との関係のしがらみからも抜け出せなくなった。結果、いくつかの選択を誤り、しだいに堕ちていくしかなかった。島で誰にも頼ることができず、ひとりきりで戦い続けるしかなかった暁海とは、対比的だ。けれどそんな櫂を、誰が責めることができるだろう。

 そんなふうにしか生きられなかった、という意味では、櫂も、暁海も、瞳子をはじめとするほかの登場人物もみな、同じだ。誰ひとり正しくはない。好きになれない、という人もいるかもしれない。けれど、彼らは誰も、その生き方を許される必要なんてないのだ。読んでいる私たちもまた、同じ。自業自得だと言われようとも、癒えない傷を負う結果になったとしても、自分が生きたいと願う人生を選び続ける。それが自分を幸せにする唯一の手段なのだということを、本作は教えてくれる。だって、誰も、人生に責任をとってなどくれないのだから。とほうもない痛みとともに、自分の人生をつかもうとあがく暁海と櫂の姿はきっと、不器用で、正しく生きられない人たちにとって、新たな救いとなるだろう。

文=立花もも

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