【新海誠の文学世界】――過去4作の小説で表現された「大丈夫」という言葉の存在/①『小説 秒速5センチメートル』

文芸・カルチャー

公開日:2022/8/24

 世界中のあらゆる人と人の間で起こっているコミュニケーションの本質にあるものは、「大丈夫」を送り合うことではないだろうか。おもに言葉で、それから表情や態度で、「私は大丈夫」「あなたも大丈夫」と励まし合うことで、本当は「大丈夫」ではなかったりする日常生活の礎を築こうとしているのではないか。アニメーション監督である新海誠はみずからの手で、最新作『すずめの戸締まり』の前に4作品を小説化してきた。この4つの小説には、重要な場面で「大丈夫」が顔を出す。その一語の表現の仕方に注目しながら、本稿では『小説 秒速5センチメートル』(新海誠/KADOKAWA)をレビューしていく。

 それまで自作の小説化はノベライザーに任せてきた新海誠が、みずから筆を執った小説家デビュー作は、アニメーションでは珍しい連作短編形式をそのまま採用している。新海アニメ特有の主人公の濃厚なモノローグは、小説の地の文と抜群に相性がいい。風景描写にも語り手の心情が乗り移り、せつなさを掻き立てている。

 全3編を貫いて登場する主人公は、遠野貴樹だ。「第一話『桜花抄』」は、「今」の貴樹が「あの頃」の自分を思い出す回想形式で進んでいく。小学4年生の頃に同じクラスで出会い、惹かれ合った篠原明里との関係は、明里が小学校卒業時に転校したことで距離が芽生えた。貴樹の転校によりさらに大きな距離が生まれることを知ったふたりは、中学一年生の冬に、明里の家の最寄り駅で待ち合わせる。しかし──〈どうして……どうしていつもこんなことになっちゃうんだ〉。

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「第二話『コスモナウト』」は、種子島で暮らす高校生の貴樹に片想いし続けている、澄田花苗が語り手となる。彼女自身の震える心とともに、貴樹の優しさとその裏にある他者を寄せ付けない寂しさが、第三者の視点から描写されていく。「第三話『秒速5センチメートル』」は、東京で社会人として働く貴樹が語り手として再登場する。第三話はアニメではわずか10分の尺だった。しかし、小説版では74ページもの分量が割かれている。そしてフル尺でかかっていた主題歌、山崎まさよしの「One more time, One more chance」が流れない代わりに、「今」に至る貴樹の人生が分厚く語られていく。

「貴樹くんは、この先も大丈夫だと思う。ぜったい!」。中学一年生の冬に再会した時、別れ際に明里から送られた言葉は、貴樹にとって喜びであったはずが、その後の人生における呪いにもなっていた。〈その一言だけが、切実に欲しかった。僕が求めているのはたった一つの言葉だけなのに、なぜ、誰もそれを言ってくれないのだろう〉。しかし、大切な恋人と別れ、会社を辞めるという経験をする過程で、誰かから手を差し伸べられるのを待つばかりで「身勝手」だった己に気づく。〈たったひとりきりでいい、なぜ俺は、誰かをすこしだけでも幸せに近づけることができなかったんだろう〉。明里と別れた日以来となる15年ぶりの慟哭が、彼を明るい場所へと連れていく。

 小説でもアニメと同じラストシーンが再現されているが、貴樹の未来に対するイメージは、アニメよりもぐっとプラスに針が動く。彼はこの先の人生できっと、誰かから「大丈夫」と言われるのを座して待つのではなく、誰かに「大丈夫」を言うことができる。だから、あなたはもう「大丈夫」だ──登場人物に対してエールを送る感覚も味わうことができるはずだ。

文=吉田大助

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