没後100周年――時代を先取りした作家・森鷗外の眼差しが、現代にもたらすもの

文芸・カルチャー

公開日:2022/8/19

森鷗外 学芸の散歩者
森鷗外 学芸の散歩者』(中島国彦/岩波書店)

 2022年は『舞姫』『高瀬舟』『山椒大夫』『ヰタ・セクスアリス』などの著作で有名な作家・森鷗外の生誕160周年、没後100周年の年です。東京都文京区にある森鷗外記念館では様々な展覧会や講演が1年を通じて組まれており、関連書籍も多く出版されています。

 ご紹介する『森鷗外 学芸の散歩者』(中島国彦/岩波書店)は、作家というだけでは括りきれない森鷗外という存在の影響力を、時代や周囲の文学者との相互関係の検証をまじえながら、日本近代文学館の理事長である著者が考察している一冊です。

「森鷗外」という名前は、日本の教育を受けた人であれば必ず一度は聞いたことがあるのではないかと思います。森鷗外は森林太郎(もり・りんたろう)として1862年に現在の島根県に生まれ、東京大学医学部を卒業したあとに陸軍軍医になり、留学生としてドイツに派遣されました。4年のドイツ生活を経て、西洋の名詩を編纂・翻訳した『於母影』(1889年)、小説『舞姫』(1890年)など、ドイツでの経験を活かした作品を刊行しつつ、同時代の作家たちと文芸の啓蒙活動に励みました。

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 1894年から日清戦争に出征した後の1899年、軍医監になった鷗外は小倉に転勤となり創作活動から一時期遠ざかりました。ですがこの時期に、鷗外は今まで得たインスピレーションを整理したり、新たな着眼点を見出したりしていきました。当時は作家が戦争に出征することは普通で、戦地でインスピレーションを得たり作家同士が交流したりすることもありました。1904年に鷗外は軍医部長として日清戦争に出征しましたが、日本の私小説の出発点として有名な『蒲団』の著者・田山花袋と鷗外とが、日露戦争中にどのような交友をしたかということも本書には記されています。

 帰国後に再び鷗外の身には文芸の流れが戻ってきます。1909年に文芸誌『スバル』が創刊されると『半日』『ヰタ・セクスアリス』など、ユニークな作品を発表していきました。

これまでとは違った文体で作品を書いてみようという試みは、どういう意識から生まれるのだろうか。『スバル』第三号に、「森林太郎」署名の「半日」という題の小説が載った。巻頭ではなく三番目に置かれ、ページの途中から追い込みで組まれている。冒頭を読んだものは、誰でもその文体に驚いたに違いない。

『半日』の文体が「それまで」とどう違ったかについては、本稿で取り上げるには大きすぎるテーマですが、簡潔に言うと「リアルさ」があったということです。『半日』はある祝日に主人・妻・娘・主人の母(姑)の一家四人が家の中でどのように過ごすかを、屋内だけではなく感情・欲望までをも覗き見するかのような具体性で展開する短い作品です。YouTubeやスマートフォンの普及で、誰でも簡単にどこでも「リアルさ」にあふれた動画を撮影できるようになり、動画の内容や鑑賞方法、そしてそこから人が受ける影響まで含めて急激に変容しています。そうした視点で、現代社会と『半日』の世界を照らし合わせて考える面白さを筆者は感じました。

 鷗外はインターネット・SNS社会でいうところの「情報の歪曲」「アンチ」「誹謗中傷コメント」にも頭を悩ませていました。1910年に発表された『Resignation の説 』という談話では「現代の思想とか、新しい作者の発表している思想とか云うものについて話せというのですか。それは私の立場として頗(すこぶ)る迷惑です」という不快感の表明から始まり、談話を発表することへの抵抗や、自分の意図を曲げられることへの違和感が語られています。

 本書でも「Resignation(諦念)」は現代社会を生きる上で、一考の余地があるスタンスだと語られています。

「私は私で、自分の気に入った事を自分の勝手にしてゐるのです」と言い、「西洋にある詞で、日本にはない詞」として「Resignation」(諦念)が自分の立場だと表明し、「文芸ばかりではない。世の中のどの方面に於ても此心持でゐる」とする。が、この「諦念」は消極的なものではないだろう。一見そう見えるものの内部に秘められたエネルギーこそ、わたくしたちが見据えなければならないものなのである。

 現代を生きるビジネスパーソンにとって、多方面の知識を有して横断的な目線で物事を眺めることはますます求められています。そんな2022年に、森鷗外が100年前の熟達した見地から手を差し伸べてくれているような一冊です。

文=神保慶政

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