松田聖子の生みの親が初めて明かす!「絶対売れる」と父親を1年以上かけて説得…数々の逸話が仕事のヒントに!

文芸・カルチャー

更新日:2022/9/1

松田聖子の誕生
松田聖子の誕生』(若松宗雄/新潮社)

 音楽プロデューサー・若松宗雄氏の『松田聖子の誕生』(新潮社)は、福岡県在住の高校生だった松田聖子氏を発掘し、彼女の80年代後期までの音源をプロデュースした氏の回顧録である。「この本は私の人生についての物語である」と前書きにあるように、本書は若松氏の自分史的な側面が強い。聖子氏の生みの親としての彼の仕事ぶりはどれも興味深いものだ。

 話は聖子氏のデビュー前から始まる。きっかけはオーディション用の1本のカセットテープ。収録されていたのは、当時16歳だった聖子氏の歌だった。それを聴いたレコード会社勤務の若松氏は即座に「絶対売れる」「誰にも似ていない」と直感したという。若松氏は早速聖子氏にアプローチするが、父親に歌手デビューを猛反対されてしまう。

 結局、若松氏が父親を1年以上かけて説得する。こと細かに描写される若松氏と父親のやりとりはまるで映画やドラマを見ているかのよう。四方八方手を尽くして若松氏が父親を説き伏せるシーンは実に劇的だ。その背後には、「絶対に歌手になる」という聖子氏の揺るがない信念があった。

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 若松氏の視点を通じて初めて気づく聖子氏の魅力も多い。素直だが芯の強さは誰にも負けていない。頑張り屋。運がいい。人懐っこくてコミュニケーション能力が高い。どんな場所でも物おじせず、あっけらかんとその場に馴染む。そんな聖子氏が間違いなく逸材であることを、若松氏は直観で見抜いていた。

 歌に対するひとかたならぬ情熱を持ち続ける聖子氏と、彼女の才能を信じて邁進する若松氏。だが、本書で語られるのはスポ根的な精神論ではない。具体的にどのようなプロセスを経て名曲が生まれたのか、その内実がつぶさに語られている。特に、大瀧詠一や松本隆、細野晴臣といった、元はっぴいえんどのメンバーによる歌詞と曲についての記述は必読。若松氏は大御所の彼らと制作に加わっても、まったくひるんだり遠慮したりせず、自分の考える曲の輪郭については積極的に進言していったそうだ。

 若松氏の脳内には明確な曲のイメージがあったのだろう。そして、歌に限って言うなら、多くの人が関わるほど魅力がなくなっていく、と若松氏は述懐している。なるほど、大人数の会議で合意を得た楽曲は、時には妥協の産物にもなりがちで、最終的には誰も責任をとらない可能性もある。そうやって、角が取れて安全策に落ちついた曲ほどつまらなくなる、というのが若松氏の考え方。歌作りに八方美人はいらない、と彼は言う。

 それは、氏が既成の音楽業界の習わしに追従しなかったことを意味する。聖子氏の歌手活動は、あくまでも若松氏のトップダウンで進められた。参加メンバーのキャスティング、詞や曲の推敲、音の仕上げ、曲順はもちろん、曲のタイトル、ジャケット写真の選定やそこに添えられたコピーまで、すべてを手掛けたという。このあたりの逸話は、ビジネスパーソンも学ぶべきヒントがあるのではないか。

 また若松氏は、営業部時代は自分の会社の音源をレコード店に置いてもらうため、必死になってなんでもやったという。飛び込みで店を訪れ、棚卸や掃除までを買って出るなど、地道で地味な作業を通じて実績を残していった。彼の情熱や行動力は、どんな職種においても必要とされるものだろう。松田聖子氏にさほど興味がなくとも、本書は仕事術としてすこぶる面白いし実用的だ。若松氏の語る仕事との向き合い方には、多くの人が学ぶべきヒントが隠されているはずだと思う。

文=土佐有明

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