夢に破れたすべての人にむけたレクイエム
公開日:2012/11/30
僕の大好きなロック・バンド、CCR(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル)のナンバーに『サムデイ・ネバー・カムズ』っつう名曲があります。どういう歌詞かざっとご披露しますと。
子供のころ、知らないことだらけだった僕は、なぜ? なぜ? としょっちゅう父ちゃんに聞いていた。父ちゃんはいつも、お前も大人になればいつか分かる日が来るさ、といっていた。
ガラクタばっかり集めながら、やがて僕も大人になったけれど、やっぱり分からないこと だらけに変わりなかった。
僕にも子どもができて、なぜ? なぜ? とたずねるので、お前にもいつか分かる日が来る、と答えていた。
この世を去る日が来て、でもやっぱりなにも分からないままだった。
「いつか」なんて来やしないのだ。
さて『さよなら怪傑黒頭巾』は全共闘世代の男たちの話です。仮に全共闘世代をモデルにしていますが、これはすべての男に共通の問題として読むことのできるテーマをあつかっています。
時は1969年、安田講堂が陥落し、全共闘運動が終焉へと向かうさなか。主人公薫君の兄たちの世代は、ゲバ棒というか材木ですけどね、あれを振るうか否かにかかわらず、なんらかの思想、夢、祈りをもって、よりよい日本のあしたのために「闘って」いたのです。
僕たちもいま夢を持っています。夢なんか持てる世の中かい、というのでしたら、たとえば勝ち組への野望でもいいです、愛する人にコクる勇気でもなんでもいいです。それらの野望や勇気は、僕たちの存在と一体化しているはずです。だからそれに失敗すれば、僕らがここにいることそのものがあやうくなるはずです。
そのようにして思想や夢や祈りを捨てなければならない場所に落ちてしまった男たち、がこの小説には描かれているのです。彼らは「いつかいつか」と来るべきあしたを信じてここまできたのに…
では、そんな彼を後続の薫君はどのように考え、なにをもたらすことができるのか。それはまた、いまの僕たちが、傷つき倒れたすべての人に(もちろん女性にたいしてもだ)なにができるか、という問題でもあるのです。
庄司薫は独特の文体をもっている
主人公薫君は朝パッと飛び起きるための17歳独特な悩みと立ち向かっている