SNSやYouTubeが無き時代の夏目漱石の言葉から学ぶ、「弱さ」で人を引きつける方法

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公開日:2022/9/16

私の個人主義
私の個人主義』(夏目漱石/講談社)

「教科書に載っていない夏目漱石」を再発見したのは、30歳を過ぎてからでした。Kindleで著作権保護期間が終わった古典が大量に無料で読めることを知ってからは、さらに網羅性が上がりました。紹介する『私の個人主義』(夏目漱石/講談社)は、「教科書に載っていた」という少々カタめな夏目漱石への偏見を取り払ってくれた講演録です。

「現代日本の開化」「道楽と職業」「中身と形式」「文芸と道徳」「私の個人主義」――5つの講演が収録されている本書を読むと「あぁ漱石が生きた時代にはSNSやYouTubeが無かったんだなあ」と実感する方も多いのではないかと思います。「SNSやYouTube無き時代」の小説を読むよりも、講演録のほうがその事実が随所ににじみ出ているのです。

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 漱石は毎回各地で冒頭に「本当は今日は講演したくなかったんです…でも喋ります」「実は私なんか講演するに値しないんです…でも話します」というような、ナヨっとした感じを見せる前置きで聴衆をひきつけていることが本書からはわかります。題名にもなっている「私の個人主義」という1914年11月25日に学習院講堂でおこなわれた講演は、「9月に病気をして元々の10月の予定から延ばしてもらったものの、2、3日前からは何を話そうかまとまらなくて絵を描いていた」という話から幕を開けます。

何しろ私はその変な画を眺めるだけで、講演の内容をちっとも組み立てずに暮らしてしまったのです。
そのうちいよいよ二十五日が来たので、否でも応でもここへ顔を出さなければ済まない事になりました。それで今朝少し考を纏めて見ましたが、準備がどうも不足のようです。とても御満足の行くようなお話は出来かねますから、その積りで御辛抱を願います。

 1911年8月17日に大阪・堺で講演された「中身と形式」では、「『中身と形式』という題からしてあまり面白くなさそうですよね。そうです、中身はもちろんつまらないです」といった論調で漱石は前置きします。どことなく「親譲りの無鉄砲で子どもの時から損ばかりしている」という『坊っちゃん』の冒頭や、「吾輩は猫である。名前はまだ無い」という『吾輩は猫である』の冒頭に似通ったタッチを感じますし、大阪の聴衆たちはおそらく笑ったのではないかと筆者は思いました(余談ですが、そう思ったところで「そもそも大阪はいつからお笑いで有名になったのか」という疑問も派生して出てきて、いわゆる「上方落語」の歴史を調べるに至りました)。

 漱石のこのような前置きは、今だったら演出であることがSNSやYouTubeで判明して、知らしめられてしまうと思います。しかし当時の聴衆は「どんな人が講演に来るのか」という情報を、漱石側としては「会場はどんな感じでキャパシティはどのくらいか」という情報を多少事前に聞けるにしても、視覚的情報はかなり限られていたはずです。きっと目の前に見える一瞬一瞬に、現代社会に生きる私たちより集中していたのではないかと思います。

 視覚的といえば、漱石は活動写真(当時の「映画」の呼称)があまり好きではないという話も「中身と形式」に収録されています。映画上映は1895年末にフランスで初めて公になされた後、1896年に日本に伝来、1897年に初めて大阪で興行が行われました。つまり、漱石が映画について話しているのは、映画というものが日本人に知られるようになってからたった15年弱ぐらいの時代のことです。漱石は「何で殴ったり蹴ったりをわざわざ見なきゃいけないんだ」と言いつつも、自分の子どもたちが映画鑑賞する姿から、映画という存在が人々にもたらす影響を冷静に観察し、一目を置いている様がうかがい知れます。

 ややナヨっと始まる5つの講演は、最後にガチッと体操競技の見事な着地のように締められ、たとえば「私の個人主義」では2022年に生きる私たちにもダイレクトに刺さるような教えが語られています。

時間が逼(せま)っているから成るべく簡単に説明致しますが、個人の自由は先刻お話した個性の発展上極めて必要なものであって、その個性の発展がまた貴方がたの幸福に非常な関係を及ぼすのだから、どうしても他に影響のない限り、僕は左を向く、君は右を向いても差し支えないの自由は、自分でも把持し、他人にも附与しなくてはなるまいかと考えられます。それが取も直さず私のいう個人主義なのです。

 商談・プレゼンから日常会話まで、切り口を変えたビジネス本として『私の個人主義』を活用してみてはいかがでしょうか。

文=神保慶政

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