『ハケンアニメ』の辻村深月が描く、クリエイターたちの苦悩と熱情『スロウハイツの神様』

文芸・カルチャー

公開日:2022/9/24

スロウハイツの神様
スロウハイツの神様』(辻村深月/講談社、上下巻)

 突然の私見になるが、私は辻村深月さんの作品が大好きだ。彼女が書く登場人物たちの感情は、どうにもならなくて心の奥に抱えていた苦しさや悲しさを思い出させ、そっと包んでくれる。とある作品の主人公の心情描写には、私が誰にも言わず、心の中で思っていたことを言い当てられたようでどきりとした。初めて彼女の作品を読んでからすぐに既刊を買い漁り、明日の予定も省みず深夜まで夢中で読み進めた。

 そんな読書体験は、読書好きならばみな、作家は違えど経験したことがあるはず。そしてその感情は『スロウハイツの神様』(辻村深月/講談社、上下巻)の主人公・赤羽環が敬愛する作家・チヨダ・コーキに向けるものと全く同じだ。本作の舞台はクリエイターやその卵たちが集う家・スロウハイツ。映画監督志望、漫画家志望などさまざまな夢を持つ5人が集まるこの家の持ち主が、すでにデビュー済みの脚本家・赤羽環だ。極度の負けず嫌いで人にも自分にも厳しい彼女が友人たちと住むこの家を、手塚治虫と当時まだ無名だった赤塚不二夫などが住んでいたトキワ荘になぞらえる人も。しかしもしそうであるとして、この家で手塚治虫にあたるのは環ではなく超人気作家・チヨダ・コーキである。彼はその小説や関連グッズが“チヨダブランド”と呼ばれるほどのファンを持つ小説家。しかしかつてファンが自殺志願者を集めて殺し合いを行ったという事件が発生。3年休筆したという過去も抱えている。

辻村深月が書くクリエイターの物語”、といえば先日映画化された『ハケンアニメ』を思い出す方も多いだろう。確かにどちらの作品からも“エンターテインメントや芸術は、人生に立ち向かおうとする人の力になれる”という辻村さんの強いメッセージを感じる。その上で『ハケンアニメ』はクリエイターたちの作品への愛を綴った物語であると思う。一方『スロウハイツの神様』で描かれているのは、同じクリエイターでも世に出る前、卵の状態の彼らだからこその自分の作品への葛藤や不安、他者への嫉妬の混じった羨望、そんな複雑な感情だ。それに加え本作では、束縛彼氏との共依存にハマっていく森永すみれことスーや、いざ憧れの人のことになると子どものように動揺し、時になきじゃくる環、女性2人の描写も見事。とてもひとりの人間の実体験だけでは収まらないような登場人物の心情描写の繊細さが、読者の感情を揺さぶる。

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 人間ドラマとしてすでに良作な本作だが、読み進むにつれて2つの謎が提示される。1つ目は、休筆期間中のチヨダ・コーキを救った“コーキの天使ちゃん”は一体誰なのか。そして2つ目は、チヨダも憧れる作家・幹永舞がスロウハイツに住む誰かであるという謎だ。この謎を追う伏線の緻密さとスリリングな展開。盛り上がりがピークに達すると登場人物の目にしているものや周囲の風景、そしてその感情を描写する文章が洪水のようにこちらの心を溢れさせ、感情が押し出されていくカタルシスが味わえる。それらもまた辻村深月の真骨頂である。

 ひとつの作品の登場人物が、他作品にまた登場するといううれしい仕掛けが幾度もある辻村ワールド。先に述べた『ハケンアニメ』にも、本書のある人物が変わらぬ姿で登場しているので、本作を気に入った方はぜひ両方チェックを!

文=原智香

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