涙なしでは読めない不朽の名作。多様性に戸惑い、生き方に迷えるすべての人にすすめたい1冊

文芸・カルチャー

公開日:2022/9/30

兎の眼
兎の眼』(灰谷健次郎/角川文庫)

 歩み寄っても心を開いてくれない人や、努力しても分かり合えない人、住む世界が違う人と出会ったとき、距離をとったり無視したりすることは簡単だ。「多様性」への理解が求められる中でも、困難さを感じる相手を前に、億劫さを感じてしまうこともあるだろう。だがそんな姿勢は、この世界で暮らすことを放棄するのと、イコールなのではないだろうか――読むたびにそんな問いを私に投げかけ、「真摯に生きる」を怠けがちな私の肩を優しく叩いてくれるのが、『兎の眼』(灰谷健次郎/角川文庫)だ。

『兎の眼』は、児童文学作家の灰谷健次郎氏によって1974年に刊行された小説。舞台は、とある工業地帯の老朽化したゴミ処理所がある町の小学校だ。煙霧で空気は淀み、人家にも学校にも処理所から出る灰が降る。処理所の隣には、危険な仕事を負う臨時職員が暮らす長屋があり、小学校には、彼らの子どもも、役所の正職員や商店街で店を営む人、会社経営者の子どもも通う。つまり、子どもの生活格差の大きい小学校だ。

 主人公は、大学を卒業して赴任したばかりの小谷芙美先生。医者の一人娘で泣き虫、休暇中はヨットに乗って遊ぶ普通の女性だ。小谷先生は、1年生を受け持つが、処理所で祖父と暮らす鉄三らが起こすトラブルや、モンスター的な親や先生たちからの圧力に打ちのめされていく。

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 学校では口をきかず、石のように何もしない鉄三は、カエルを残酷に殺す冒頭から、圧倒的に攻略不可能な存在として描かれる。しかし小谷先生は、彼が興味を持つハエを糸口に、徐々に鉄三と心を通わせていく。何もできず泣いてばかりいた小谷先生は、子どもたちや、「教員ヤクザ」と呼ばれる足立先生、鉄三の祖父のバクじいさんらと接するうちに、自分のやるべきことを見出していく。社会の汚れた部分を人に押し付ける者たちや、臭いものにふたをしようとする権威に抗い、挫けそうになる自分に抗い、もどかしいほど少しずつ歩みを進めていく小谷先生の姿が胸を打つ。

 小谷先生は10月、支援が必要な子どものみな子を、養護学校に入るまでの間、学級で受け入れると決意する。みな子との日々は、小谷先生と子どもたちを大きく成長させる。席に座っていられず走り回り、人のものをとっては投げ捨て、人の給食に手を突っ込む困ったみな子の存在が、子どもたちにとってかけがえのないものになっていく過程は、涙なしでは読めない。

 本書には、「美しく生きる」という言葉が出てくる。小谷先生は、学生時代から好きだった西大寺の善財童子の眼のように、戦時中に壮絶な体験をしたバクじいさんのやさしさのように美しくありたいと願い、その思いが、彼女の人生の軸になっていく。そんな小谷先生の覚悟と、公害や格差、障害児の受容といったテーマを、子どもの遠慮のない言葉も用いながら深く描いた灰谷健次郎氏の覚悟に、魂を激しく揺さぶられる。

 しかし何よりもこの作品を輝かせているのは、子どもたちのパワーだ。好きを突き詰める集中力、触ってみたい、見てみたいという探求心、高い壁を乗り越える柔らかい心、そのすべてが眩しく、昔も今も、それが世界の宝物だとわかる。関西弁で繰り広げられるユーモアあふれるやりとりも楽しく、笑うことが人生を前に進める原動力になると改めて知る。美しく生きるために必要な、受容、抵抗、ユーモア。人生で忘れてはいけないものを思い出させてくれる、一生ものの1冊だ。

文=川辺美希

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