大好きな弟は同性愛者かもしれない…過干渉してしまう大学生の姉がたどり着いた答えは? 『マーブル』

文芸・カルチャー

公開日:2022/9/30

マーブル
マーブル』(珠川こおり/講談社)

 赤の他人に対してならばどれだけでも寛容になれるのに、相手が身近な家族になるとつい、価値観を押しつけ、支配的にふるまってしまう。そういうとき、多くの人は「心配だから」と口にする。苦労をさせたくない。無駄に傷ついてほしくない。だから、ちょっと我慢してでも“みんなと同じ”ようにふるまえたほうがいいのだと。そんなマジョリティの論理は暴力的だし、愛情を盾にすべてが許されるわけじゃない。でもじゃあ、その宙に浮いてしまった“心配”をどう取り扱えばいいのだろう――。『檸檬先生』(講談社)で第15回小説現代長編新人賞を受賞し、話題を呼んだ珠川こおりさん、2作目の小説『マーブル』(講談社)は、マジョリティ側の葛藤を抱える大学生の少女の物語だ。

 美容師で恋人の朗との仲も順調で、東京の大学生活をおおむね謳歌している茂果(もか)は、高校生の弟・穂垂(ほたる)を溺愛していて、彼がイラストを投稿しているTwitterもくまなくチェック。1万人近くいるフォロワーの中でも自分がいちばん近い場所にいて、いちばんの理解者であると自負している。ところがあるとき、自分の知らないアカウントで穂垂がBLマンガを描いていることを知ってしまい、もしかして弟も男の人が好きなんだろうか? と心配し始める。

 ここでいう心配というのは、同性愛者を否定するものとは、また違う。そもそも恋人の朗がバイセクシュアルであり、過去には同性のセフレがいたと打ち明けられても、気にせずつきあっていた茂果だ。たとえば友人の由紀が、実は同性愛者だったと知っても「へえ、そうなんだ」で済ませていただろう。でも、相手が弟の穂垂というだけで、話は変わる。

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 いつか穂垂に彼女を紹介される日が来て、結婚して子どもも生まれて幸せな家庭を築く姿を、今までと同じようにいちばん近くで見守るのだと茂果は信じていた。茂果も、朗あるいはほかの誰かと結婚して、やっぱり子どもを産んで、二家族がほのぼのと交流を重ねる未来像も、あたりまえのように想像していただろう。それなのに、その絵図が崩れ去っただけでなく、社会的に肩身の狭い思いをするかもしれない穂垂を、同性というだけで報われない恋に涙するかもしれない穂垂を、かわりに想像しなくちゃいけなくなった。そんな未来は、穂垂も自分もかわいそうなことにしかならないと、茂果は思うのだ。

 はたから見れば余計なお世話はなはだしい。朗からも〈心配して、は免罪符? それとも建前? 茂果ちゃんは自分が幸せになりたいから穂垂くんに幸せになってほしいの?〉と厳しく突きつけられるとおり、茂果は視野が狭くて、エゴイスティックだ。けれど、彼女のエゴイスティックな愛情を「だめなもの」と頭ごなしに否定する気にも、なれない。なぜなら、そのいびつな愛情は、誰だっていつだって発露しうるものだと思うから。そんななか、自分がエゴイスティックであることを自覚したうえで、誰より愛している弟の幸せを願うために、弟の側ではなく自分の意識を変えようとする茂果の姿は、他者と手をとりあうために何より必要であるもののように感じるからだ。

 葛藤の果てに茂果はひとつの答えを手にするけれど、この先も彼女は揺れ続け、答えも少しずつ変容していくだろう。けれどその揺れから目を背けず、向き合い続けることこそが、きっと大事なのだ。

文=立花もも

▼『マーブル』を試し読み
https://tree-novel.com/works/episode/cabdc20dd43c94b47eb1598686797209.html

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