親の教育が子どもの人生を狂わせる……発表は1979年! 時代を先どりした山岸凉子の毒親漫画『天人唐草』

マンガ

公開日:2022/9/29

天人唐草
天人唐草』(山岸凉子/文藝春秋)

 50年以上前から現在にいたるまで変わらず絶大な人気を博し、衝撃作を数多く発表している漫画家・山岸凉子。彼女の作品のジャンルは多岐に及ぶ。背筋の凍るホラー、歴史上の人物の解釈を根底からくつがえす歴史もの、厳しい世界で生き抜くバレリーナもの……。物語性に富み、一度はまれば抜け出せなくなる魅力のある漫画家だ。

 そんな山岸氏は、毒親という概念がなかったころから機能不全家庭を描写していた。親が子どもを病気にさせる代理ミュンヒハウゼン症候群をほうふつとさせる『コスモス』、娘を束縛したあげく、自立しようとする娘を殺す母親を描いた『メディア』……数えればきりがないが、親の教育によって子どもの人生は大きく揺らぐことを著者はよく知っていた。

 極めつきはこのたび紹介する短編漫画『天人唐草』(てんにんからくさ)である。発表は1979年。当時、少女漫画の主人公は10代から20代前半という暗黙の了解があったが、著者は30歳の「岡村響子」を主人公にしており、本作を読んだ少女漫画家たちは驚きの声をあげたという。

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 この漫画の独自性はもちろん主人公のキャラクターだけではない。物語序盤、読者はいきなり奇声をあげ、尋常でないようすの女性の姿に目を奪われる。彼女は誰なのか。何があったのか。

 この女性こそが主人公の響子30歳の姿であり、その後『天人唐草』は響子の幼少期まで時をさかのぼる。そして、彼女が“そこ”にいたるまでの人生を描く。

 少女時代の響子は明るい性格だったが、家ではおとなしくしているように母から言い含められていた。男尊女卑とも言える古い価値観を持つ厳しい父親がいたからだ。母は父に対して従順で決して逆らわない人だった。

 響子は同級生の男子を「くん」付けで呼ぶことも許されず、失敗をすれば父に叱られ呆れられ、それを見ている母も響子の心のケアをしない。ちょっとしたことでも失敗は許されない、女性はおとなしく男性に従うべきだ、と思い込まされて育った響子は、うまくいかないことがあるたびに自己嫌悪に陥るようになる。

 響子の父は、母や響子に暴力をふるわないし、響子を叱るときに罵詈雑言を吐くこともない。だからこそ響子は、自らが受けた教育に疑問を抱かなかったのではないかと私は考えている。成人しても彼女は父に反抗するどころか、理想の男性像として思い描いている。

 しかし著者は暴力を伴わない虐待があることを理解していたのだろう。父の抑圧による弊害は、響子の就職後、決定的になる。

 会社でも響子は何かあるとすぐに落ち込でしまう。ある日、そんな彼女を面倒くさがる上司の会話を耳にしてしまった響子は、傷つき泣いて帰る。そこに通りがかったのが同僚の男性・佐藤である。彼はショックを受けている響子に対してこう言う。

うまくやれないってことがなんでそんなに大変なことなんだい?

「なんでもうまくやれるすばらしい女だ!」と あんた 言われたいんだよね だれかに… (中略)他人の目を…他人の評価を 気にしすぎるんだよ

「他人の評価を気にしすぎる」――それは響子にとって大切な言葉だったはずなのだが、効力をもたらさなかった。なぜなら佐藤の見た目が「チャラ男」で、理想の男性である厳格な父とは正反対だったからである。

 一方で響子は父に似た他の同僚に惹かれていた。ところが、彼は同じ会社に勤める積極的な女性と結ばれて、響子は母の急死を理由に仕事を辞めて家で家事手伝いをするように。見合いを重ねるが、出しゃばらないよう意識しすぎてうまくいかない。父は、自分が響子をそのような性格にしたことに無自覚で逆に響子を叱る。

 やがて父が死んだとき、響子の人生を全否定するような事実が判明する。従順になるよう響子を教育した父が、こうなってはいけないと娘に言い聞かせていた華やかな女と、母の生前から不倫していたのだ。

 響子に「こうなれ」と示した女性像は、父が恋愛で求める女性と一致していなかった。しかも父は、響子が幼いころから自信を失わせ幸せになる可能性をも押しつぶしたのだ。憔悴し、落ち込んで帰る響子はレイプ犯に狙われ、さらなる悲劇が襲いかかる。

 人間として、恋愛対象として誰かに認められることはなかったのに、性暴力の犠牲にはなる。責めたくても、自分をそのようにした父、父に反論しなかった母は既にこの世にいない。

 虐待を受けていないから。
 親の言うことは正しいから。
 親は自分を愛しているから。

 響子はこの三つを心の支えにし、しがみついていたのかもしれないが、大人になり、彼女は自分の受けた教育を客観視する時をむかえてしまった。響子が30年の人生を今からひっくり返すことも、もちろん望めばできるだろう。だが響子は人生のすべてを奪われたと信じ込み、平静さを取り戻せなくなってしまった。

 タイトルの天人唐草はオオイヌフグリとも呼ばれ、その花言葉は「忠実」「信頼」「清らか」、まさに父が響子を育てるうえで重視したものである。

 親の教育によって子の人生が激変する。『天人唐草』は1979年の発表から今も変わっていない事実を描写した漫画だ。

文=若林理央

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