時速430キロの鉄道に乗る上海旅、初乗馬で4日間のモンゴル乗馬旅…SF作家ならではの視点から“世界”を垣間見る旅エッセイ『SF作家の地球旅行記』

文芸・カルチャー

公開日:2022/10/25

SF作家の地球旅行記
SF作家の地球旅行記』(柞刈湯葉/産業編集センター)

 横浜駅が自己増殖して日本全土を侵食していくという奇抜なアイディアが話題となったデビュー作『横浜駅SF』(KADOKAWA)以降、精力的に作品を発表してきたSF作家・柞刈湯葉氏。その初めての旅エッセイが本書『SF作家の地球旅行記』(産業編集センター)だ。旅行記というものは総じて「なぜ人は旅をするのか」という問いが基調になっていることが多いものだが、その点について著者は言う。

「僕はそこに立ったことがないな」というだけの理由で、歩いて確認してみたくなる。
(略)それは徒歩にとどまらない。ときには自転車を漕いだり、新幹線に乗ったり、飛行機を使ったりして、行ったことのない場所に、特に理由もなく行きたくなる。
この旅行記は、そういう性質を持った人間の、そういう行為を綴った本である。

 そんな本書には、専業作家になった直後のスランプ中に後輩を訪ねたカナダ、時速430キロメートルという地球最速の旅客鉄道に乗りに行く上海、国土地理院が認める日本唯一の本物の砂漠を訪れる伊豆大島、初めての乗馬体験で4日間かけて大草原を駆け回るモンゴル、青春18きっぷを使ってJR在来線の最長距離を移動する正月帰省の鉄道旅行など、海外・国内合わせて計15編の旅行記が収録されている。

 旅の内容について著者は「旅行ガイドには適さない」「旅先での笑えるトラブル話や、心温まるエピソードも期待しないほうがいい」と書き、旅をすることについても「誰も見たことのない景色を見たい」「危険を冒してでも世界の真実を伝えたい」といったモチベーションは持っていないと言い切る。それでも、旅に相当の時間と金銭を費やすのは「そうせずにはいられないから」だという。そうした旅について書かれた本書の面白さは、旅先での出来事や出会いをきっかけに、SF作家・柞刈湯葉ならではの思考があちこちへと広がりながら、ちょっとシニカルで独特のユーモアのある語り口で綴られていくところにある。

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 上海のレストランで「高そうな麺料理」を食べたときの「飯がうまいことが人権だとすれば中国ほどの人権擁護国家はあるまい」といった思わずくすりとさせられる言葉の数々、モンゴルで羊の解体を見学しながら思い至る「動物」と「肉」の境界、「楽しい道理が全くない」という18きっぷ旅行の醍醐味など、ちょっとしたことについても著者の視点からの表現がいちいち楽しくてスルスルと読まされてしまう。著者は外出する理由について「発見」したいからだと書いているが、本書は柞刈湯葉というSF作家の観察眼を通した、世界の「発見」を楽しむことができる本なのだ。

 そして本書が旅行記としてとりわけ独創的なものになっているのは、最後に収録された架空編、「月面」「日本領南樺太」の2本によるところが大きい。虚構への旅がそれまでの旅の記録とまったく変わらない文体やテンションで綴られていくことで、そこに奇妙なリアリティが生じ、実際に柞刈湯葉という人が宇宙空間を体験し、日本とロシアの陸上国境を見てきたかのような気にさせられる。現実と虚構の境界を揺さぶるという意味で、まさにSF作家ならではの旅行記だと思う。

文=橋富政彦

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