母は統合失調症。家族のために私は幼少期を捨てた――実話をもとにヤングケアラーのSOSを訴える『私だけ年を取っているみたいだ。 ヤングケアラーの再生日記』

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公開日:2022/10/26

私だけ年を取っているみたいだ。 ヤングケアラーの再生日記
私だけ年を取っているみたいだ。 ヤングケアラーの再生日記』(水谷緑/文藝春秋)

 本来、大人が担う家事や家族の世話などを、日常的に行わざるを得ないヤングケアラー。彼らが発するSOSは近年、メディアなどで取り上げられるようになってきたが、自分がヤングケアラーであることに気づかず、子どもらしい日常を奪われている子は、まだ多い。

私だけ年を取っているみたいだ。 ヤングケアラーの再生日記』(文藝春秋)は、そんな現状の深刻さを痛感させられる作品だ。

 作者は、徹底した取材のもと、精神科のリアルな現場を新人看護師の目線で描いた『精神科ナースになったわけ』(イースト・プレス)を手掛けた、水谷緑氏。

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 本作も、2年以上の当事者取材をもとに生み出されており、ヤングケアラーとして感情を押し殺しながら生きてきた主人公の心理描写が胸を突く。

家事と母の世話を担ってきたヤングケアラーが“自分”を取り戻すまで

 ゆいは幼稚園の頃から、母に代わって家事をこなしてきた。母は、ゆいが2歳の頃に統合失調症を発症。家庭内で暴れ、体調が悪い時には包丁を持ち出すこともある。

 そんな姿を見ても、父親は家事をせず、家庭に無関心。弟はなぜか、母の面倒や家事を押しつけられない。

 歪んだ家庭の中で、ゆいは「私はロボットだから、傷つかない」と言い聞かせながら、押しつけられた役割をこなし続けた。

私だけ年を取っているみたいだ。 ヤングケアラーの再生日記

私だけ年を取っているみたいだ。 ヤングケアラーの再生日記

私だけ年を取っているみたいだ。 ヤングケアラーの再生日記

 家庭環境を変えたいと思い、周囲に頼ったこともある。だが、母方の祖母は電話越しで拒絶。母を診てほしいとクリニックに相談するも、本人を連れていけず、道は塞がった。

 誰も助けてくれないから、自分で何とかするしかない。絶望したゆいは苦しみを感じないように感情を封印。自分を押し殺し、相手が求める行動をとるようになっていった。

私だけ年を取っているみたいだ。 ヤングケアラーの再生日記

私だけ年を取っているみたいだ。 ヤングケアラーの再生日記

 すると、心は限界を迎え、高校2年生の時、母方の祖母に連れられ、精神科へ入院。そこで初めて自分のペースで過ごせ、スタッフ立ち会いのもと、話し合いをして母の気持ちを知ったことを機に、家事や母の世話を押しつけられてきたことに対して、やっと怒りを感じられるように。

私だけ年を取っているみたいだ。 ヤングケアラーの再生日記

私だけ年を取っているみたいだ。 ヤングケアラーの再生日記

 もう、今まで通りの生活はしたくない。そう思い、看護師やソーシャルワーカーに母を説得してもらい、管理人が常駐する下宿先でひとり暮らしをしながら看護師を目指した。

 管理人の優しさを受けながら、落ち着いて勉強や暮らしができるようになると、ゆいに変化が。これまで蓋をしてきた苦しみや悲しみに気づき、それを受け止められるようになったのだ。

私だけ年を取っているみたいだ。 ヤングケアラーの再生日記

 その後、大学に入学し、本格的にひとり暮らしを開始。自由な生活を満喫しようとしたが、好きなものややりたいことが分からず、友人、恋人との付き合い方にも悩むように。

 さらに、生きてきた環境の違いから、親に甘えられる友人たちに苛立ち、見えない壁を感じるようにもなった。

私だけ年を取っているみたいだ。 ヤングケアラーの再生日記

私だけ年を取っているみたいだ。 ヤングケアラーの再生日記

 そんな生活をなんとか乗り越え、看護師になるも、何でもひとりでこなしてきた経験や人に嫌われるのが怖いという気持ちから、同僚に頼れず、仕事に支障が出るようになってしまう。

 だが、新聞に掲載されていたヤングケアラーの記事を目にしたことで、人生が変化。自助会に参加したゆいは、そこで、「感情を出しても人に受け止めてもらえる」という体験をしたことから、少しずつ自信が持てるようになり、家族を違った視点で見られるようになっていく。

 やがて、ゆいは結婚し、出産。新しい人生を前向きに歩もうとした。だが、子育てをする中で、幼児期の辛い記憶がフラッシュバック。心は、再び乱れはじめる。家族と離れてもなお、心を苦しめる、ヤングケアラーとして生きてきた過去。それをゆいはどう受け止め、整理していくのか、ぜひその目で見てほしい。

 子どもにとって、子どもらしく生きられない日常はどれほど辛いものか。感情を封じ込めた結果、主体性をなくし、やりたいことや好きなことすらも分からなくなってしまったゆいの姿に触れると、そう考えさせられる。

 ゆいは実在しないが、本作は複数の子どもの体験をもとに編集したノンフィクションに限りなく近い、フィクションだ。だからこそ、彼女の人生を通して、ヤングケアラーという道を選ばざるを得なかった子の苦しみを理解すると共に、身近にそうした苦痛を強いられている子がいないか気にかけてほしい。

 また、本作は10代の当事者も読めるよう、ふりがながふってあるので、これを機に自分がヤングケアラーであることを自覚したならば、SOSの声をあげてほしいと願う。誰にも生き方を縛られず、子どもらしい幼少期を送る。そんな子が、ひとりでも増えることを切に祈る。

文=古川諭香

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