偉人たちによるユニークな”架空”講演会! ナポレオンはなぜ「余の辞書に不可能の文字はない」と言えたのか?

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公開日:2022/10/28

退屈な日常を変える 偉人教室
退屈な日常を変える 偉人教室』(五百田達成/文響社)

 歴史上の偉人たちが今、講演会を開いたら――。ユニークなコンセプトで、私たちに生き方のヒントを与えてくれるのが『退屈な日常を変える 偉人教室』(五百田達成/文響社)だ。

 本書で“架空”の講演会を開くのは、ナポレオンや野口英世、徳川家康、ベートーヴェンなど、教科書で誰もが名前を見たことのある25人の偉人たち。彼らの人生には「栄光に彩られた成功のドラマもあれば、苦難に満ちた悲劇」もあり、そこから学べることもたくさんある。背中を押してくれる本書から、ナポレオンと、伊能忠敬のエピソードを紹介していきたい。

ナポレオンに「不可能」がなかったのは「挫折と成功」があったから

 ナポレオンによる「余の辞書に不可能の文字はない」の名言は、広く知られている。しかし、彼は必ずしも成功ばかりを積み上げていたわけではない。本書に登場する“架空”のナポレオンは、成功の裏には「挫折や失敗というバネが欠かせません」と述べ、みずからの挫折体験を振り返る。

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 例えば、彼は25歳のときにフランス革命のさなかで起きた「テルミドールのクーデター」(注:フランス革命の中で権力をにぎったジャコバン派が別の派閥に倒された事件)で、「旧政権派」の人間だとして逮捕され、軍を追われた。軍へ復帰してからも、愛する妻・ジョセフィーヌが「男を取っ替え引っ替え浮気」を繰り返していたと知り、落胆。その後も「さまざまな試練」に見舞われていた。

 それでもなお「余の辞書に不可能の文字はない」という境地へ至った彼は「挫折と成功を積み重ねていくことで、人は真の自信を手に入れることができる」と強く主張する。自信を手に入れる「根本の原動力」は「行動」だ。挫折を目の前にしても「困難に立ちすくむ、失敗を恐れて臆病になる。そのように立ち止まりさえしなければ、あなたの辞書からも不可能という文字は消え去るのです」と述べ、自身の講演会を締めくくっている。

50歳で測量士に転身。伊能忠敬に学ぶチャレンジ精神

 現代のような測量技術がなかった江戸時代に、日本地図を作り上げる偉業を達成した伊能忠敬。彼が地図を作りはじめたのは、なんと「50歳」だった。本書に登場する“架空”の伊能忠敬は、自身の経験を振り返りながら「『やりたいこと』とどのように向き合っていくか」を説く。

 17歳で妻・ミチと結婚し、千葉県の佐原村で酒造などを営む名家に婿入りした彼は「私の人生は前半と後半でまったく異なります」と経歴を振り返る。人生の前半で「商人、あるいは村のリーダー」として働いていた彼は、50歳で「測量士」に転身。幼い頃からの「天文学」への興味を胸に佐原村から江戸に上り、江戸幕府の研究機関「天文方」で登用されていた高橋至時(よしとき)に弟子入りした。

 3年後、自身が「師」とあおぐ至時が、かつて日本で使われていた暦法「寛政暦」を完成させた。ただ、当時は「地球の大きさが正確に把握できていなかったため、どうしても暦に誤差が生まれてしまう」という問題点があった。「江戸から現在の北海道である蝦夷地(えぞち)までの距離を測るくらいでないと正確な数字」が割り出せないとして至時と議論を重ねた彼は、やがて「測量の旅」を計画。江戸幕府の「お墨付き」で、日本全国を歩き回った。

 日本地図を作り上げるため、彼は「17年間で累計10回の測量遠征」を重ねた。残念ながら、彼自身は地図の完成を見ることはできなかったが、その遺志を継いだ弟子たちの助けも受けて「大日本沿海輿地全図(だいにほんえんかいよちぜんず)」を完成させた。

 50歳で新たな分野に挑戦した伊能忠敬は、やりたいことがあるならば、進みたい分野に精通する「よい師」を見つけて、自身で「最低限これくらいあれば生きていける」と思える「貯金」を蓄え、支援者を見つけるために「伝え方を磨く」のが重要だと主張し、自身の講演会を締めくくる。

 史実にもとづくエピソードになぞらえて、著者が偉人たちになりかわり生き方のヒントを伝えてくれる本書。語り口調のために内容がスッと入ってきて、分かりやすいのも魅力だ。毎日に「退屈」さを感じている人たちに、ぜひおすすめしたい一冊である。

文=カネコシュウヘイ

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