『スモールワールズ』を超える感動作⁉ 運命に導かれ、運命に引き裂かれるひとつの愛に惑う2人の物語! 一穂ミチ最新作

文芸・カルチャー

更新日:2023/2/2

光のとこにいてね
光のとこにいてね』(一穂ミチ/文藝春秋)

 たとえば別れた恋人と、今の自分だったらうまくやれたかもしれないと、想像してみたことはないだろうか。人には、タイミングというものがあって、どんなに相手を愛おしく思っていても、自分の置かれた状況次第で、ちゃんと大切にすることができなくて、遠ざかってしまうということは、往々にしてある。けれどそのとき、うまくやれない自分と相手が出会ったこともまた、生きていく上で必要なことなのだ。縁があれば、きっと二度目、三度目のチャンスはやってくる。大事なのは、「今なら」というタイミングが訪れたとき、行動に移せるかどうかなのだと、一穂ミチさんの最新小説『光のとこにいてね』(文藝春秋)を読んで思う。

 最初は、小学2年生のとき。毎週水曜日、結珠(ゆず)はとある団地で、母親が“ボランティア”と称して男の人と会うのをいつも外で待っていた。そして、団地に住む果遠(かのん)に出会ったのだ。父親を知らず、過度にオーガニックを信仰する母親のもと、果遠は、シャンプーとリンスを使うこともできず、時計を読むこともできない。医者の家に生まれた結珠とは何もかも正反対なのに、なぜか息が合ったのは、どちらも母親との関係が歪だったからだろう。2人の週に一回の逢瀬は、あることをきっかけに途絶えたものの、日常に唯一差し込む光だった互いの存在を忘れることはなかった。そして高校入学の日、2人は再会を果たすのである。

 私立小学校からエスカレーターであがってきた結珠と違い、果遠は外部からの特待生。私立に進学するような家庭環境になかった彼女が、結珠に再び会いたいという一念のもと、必死でその場にたどりついたことに、結珠は嬉しさよりも戸惑いと不安を覚える。それでも、母親のボランティアがなんだったのかをうすうす察し、子どものころ以上に母親に愛されていないことを痛感するようになっていた結珠にとって、果遠はやはり特別な存在だった。

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 それは果遠が最初から、結珠の日常から遠くかけ離れた場所にいたからではないだろうか。同じ学校でずっと一緒に育った友達に秘密を打ち明ければ、必死で守り続けていた日常が壊れてしまう。でも、なんのしがらみもなく、ただ結珠をまっすぐに慕う果遠の前でなら、結珠は何かを守ろうとすることなく、ただの一人の女の子になれる。そしてそれは、果遠にとっても、同じだったのではないか。娘が何を望んでいるかなんて、ひとつも顧みないまま、自分のエゴを押し付けてくる母親との暮らしを生き抜くためには、結珠という存在の光が必要だったのだ。

「光のとこにいてね」というのは、2人のかわした約束。一度目は、結珠が言った。次に会うときはそこで、というその約束が果たされることはなかった。二度目は、果遠が。結珠を置き去りにするために、自分の人生に巻き込まないために。決別を意味するその言葉は、2人にとって互いの幸せを願う祈りであると同時に、呪縛だ。けれど三度目の再会で、再び口にされたとき、その言葉は未来への希望に姿を変える。そのとき、2人の幸せを祈るように追い続けた読者の心にも、優しい光がきっと降り注ぐはずだ。

文=立花もも

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