江口寿史も絶賛! グラフィック・ノヴェルの巨匠、5年ぶりの邦訳作『長距離漫画家の孤独』

マンガ

公開日:2022/11/20

長距離漫画家の孤独
長距離漫画家の孤独』(長澤あかね:訳/国書刊行会)

 待望の、というと少し大げさかもしれないが、海外コミックファンに限っていえば待ちに待ったトミネの邦訳作品ということになる。人気イラストレーターの江口寿史氏も「今やグラフィック・ノヴェルの押しも押されもせぬ巨匠。それなのにこの謙虚さ、慎ましさ、笑ってしまうほどの卑屈さ」とコメントしている。

 とはいえ、日本国内ではそれほど知名度が高い作家ではないトミネについて少し紹介が必要だろう。

 エイドリアン・トミネは1974年生まれの日系アメリカ人4世。2歳の時に両親が離婚し、母とともにアメリカのカリフォルニア、オレゴンのほか、ドイツやベルギーと転々とする。夏にはアメリカ・サクラメントの父のもとで暮らしていた。

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 1991年、高校在学中にミニコミック誌『オプティック・ナーヴ(Optic Nerve)』の自費出版を開始し注目を集め、カナダの出版社ドローン&クォータリー社から商業デビューする。1996年には『Pink frosting』(邦訳『SLEEPWALK』プレスポップ刊収録)で、アメリカでもっとも権威ある漫画賞であるアイズナー賞で短編漫画賞に若くしてノミネートされる。

 また雑誌の『ニューヨーカー』や『エスクァイア』『ローリング・ストーン』にイラストや漫画を寄稿。日本でもBEAMSが発行していた『IN THE CITY』のカバーイラストを毎号手掛け、本誌で彼のイラストを知った人もいるだろう。2003年には『サマーブロンド(Summer Blonde)』(邦訳は国書刊行会刊)を発表。2016年には『キリング・アンド・ダイング』(邦訳は国書刊行会刊)でアイズナー賞最優秀短編賞を受賞する。

 このように、現在アメリカの漫画家として最前線にいるのがエイドリアン・トミネであり、彼による自伝的作品がここで紹介する『長距離漫画家の孤独』である。

 アメリカのフレズノの小学校に転校してきたトミネは初っ端の挨拶でオタクの気性を発揮してしまいクラスから浮き、そしてイジメられる。それでも彼は漫画を描き続け、出版社からプロの漫画家としてデビュー。ようやく自分の居場所を見つけたトミネ少年はコミコン(コミック・ブック・コンベンション)に向かうも自分の作品の酷評を聞いてしまい「うあああ」と涙し、パーティでは同業者から立ち居振る舞いをディスられて「うあああ」とまたまた涙する。

 1996年のアイズナー賞の受賞発表会では『Pink frosting』がノミネートされるも、プレゼンターが「トミネ」の発音が難しいと名前を読み上げることはなかった(このときトミネは泣かなかった)。初めての本の宣伝ツアーではコミックショップでサイン会を行うも誰も訪れず、コミックショップのオーナーが呼び集めた知人たち数人にサインをして終わる。また東京でもサイン会を行っているが、ファンが持ってきたコミックが他の漫画家の本だったことなど、漫画家としてデビューしたものの、その評価が形となって目に見えないトミネの人生はいつまでたっても低空飛行のままだ。しかし2006年にパートナーとなる女性サラと家族を持つことになり、トミネ自身に変化が生まれるかというと、相変わらずトークでのジョークは滑り、ラジオインタビューでも自己嫌悪に陥り「うあああああ」と相変わらず涙する。

 このように悲哀を含みながら低空飛行で描かれていくトミネの人生は、しかし過度にシリアスにならず、上品で柔らかな線で描かれる独特のタッチによって、ページとコマを跨ぐことがとても心地よいのだ。

 また、トミネのナイーブな心情を本作でなぞりながら、現在邦訳されている作品とトミネの人生との関わりを考察していくのもまたファンにとっては楽しみのひとつとなるだろう。デビュー間もない作品を集めた『SLEEPWALK』(プレスポップ)は本書の読後に振り返ると背伸びをしているかのような印象の作品に思えてくるし、『サマーブロンド』(国書刊行会)発表時の2003年前後はトミネにとってストーカーに出会ったり、サラと出会った時期でもあり、そのまま『サマーブロンド』に収録されている作品群たちと重なる。

 そして結婚し、家庭を持った時期である『キリング・アンド・ダイング』(国書刊行会)では、その人間観察眼に磨きがかかり、絵のタッチとともに彼の眼差しが「人生」へと強くフォーカスしていくさまが感じられる。

『長距離漫画家の孤独』は2020年のアイズナー賞最優秀自伝作品賞を受賞、そして本人が手掛けたバンド付きのノートブックの装丁は同賞の最優秀装丁賞をも受賞している。

 本書は、トミネ作品への愛おしさが生まれるとともに、「本」という形への愛着に至るまで近年稀に見るパーフェクトな一冊としておすすめしたい。

文=すずきたけし

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